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「取り調べで涙を流して殺人を自白した」 調書なき異例の「自白採用」は冤罪だったのか? 検察官が証言した“不都合な真実”とは

田園調布殺人事件は冤罪だったのか #1

genre : ニュース, 社会

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検事に示されてマルをつけた場所で、遺体が見つかる

 数日後、検事に示されてマルをつけた場所で1980年に発見されていた身元不明の遺体が『佐藤さんのものだと判明した』と取調官に言われた時は本当に驚きました。その後の裁判所の認定では福岡に到着してから2時間半以内に、私が佐藤さんを殺し40キロ離れた山に捨て、戻ってきたことになっていますが、もともと土地勘もありません。福岡に行ったのはあの時が初めてでした。最初からその身元不明の遺体を佐藤さんのものとすることを決めていたのだと思います。遺体判明後、取り調べで『太宰府の河原で喧嘩した末に佐藤さんを石で殴って殺害した』という調書にサインをさせられました」(同前)

 警察側はこの遺体を歯形などから佐藤さんの遺体と断定した。折山さんが死体を遺棄した場所を知っていたという理由をもって、真犯人でしか知るはずのない事項を自白する“秘密の暴露”を行ったと、裁判では強力な証拠とした。

©️iStock.com

遺体位置は捜査側が知りえた情報であり「遺体は佐藤さんとは別人」

 一方で今回の再審請求にあたって弁護側は以下のように当時の捜査について疑問を呈している。そもそもその遺体は既に1980年に発見されていたものであり、遺体の位置情報は捜査側の人間であれば知りえた情報である。つまり「犯人だけしか知りえない」秘密の暴露にあたらない。また遺体が佐藤さんのものとされる根拠となった歯形のレントゲン写真が差し替えられた形跡があり、歯の治療の痕が佐藤さんと厳密には一致しないことなどから、「遺体は佐藤さんとは別人のものだ」と主張している。

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現在78歳になる折山さん ©️文藝春秋

 いずれにしても、公判で争われた佐藤さん殺害の犯行事実は、福岡県福岡市のホテルで1980年7月24~25日、何らかの鈍器で佐藤さんの後頭部を数回殴打し、殺害したという内容だった。折山さんが検察にサインをさせられた実際の調書に記載された「太宰府の河原で喧嘩した末に佐藤さんを石で殴って殺害した」などといった表現とは異なるものだった。

 そこで、調書だけでは犯行の整合性を得られなかった検察が出した奥の手が、“取調官の証言”というウルトラCの「自白」だったのだ。

 だが、検察側によって“強引につくられた”「自白」証言は、これだけではなかった。(#2に続く

「取り調べで涙を流して殺人を自白した」 調書なき異例の「自白採用」は冤罪だったのか? 検察官が証言した“不都合な真実”とは

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