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「家族がいまどう暮らしているかも分からない」 20年間の服役を終えた男性が訴える、40年前の“冤罪事件”と“調書なき自白”

田園調布殺人事件は冤罪だったのか #2

genre : ニュース, 社会

 1980年に起きた東京田園調布・資産家殺人事件。事件から5年後の1985年、田園調布の豪邸の家主である佐藤松雄さん(当時56)を殺害したなどとして、共同で不動産事業をしていた折山敏夫さん(78)が逮捕された。

 その後の裁判では控訴・上告を経て、折山さんには懲役20年の有罪判決が下され、1995年、最高裁で刑が確定した。有罪の強い証拠となったのは、検察官が法廷で証言した、折山さんの殺人の「自白」が認められたことだ。だが、その自白は異例の事態を経て、取り調べを担当した検察官の証言が採用されたものだった(#1)

 折山さんは2007年に64歳で出所後、2011年に1人で第1次再審請求をし、2017年に弁護士の支援を受けて第二次再審請求をしたが、いずれも棄却された。そして今年12月14日、3度目の再審請求を行おうとしている。(全2回の2回目。#1を読む

現在78歳になる折山さん ©️文藝春秋

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「取り調べで涙を流しながら語った」とされる自白とは

 最高裁での確定判決によると、折山さんは1980年7月25日ごろ、佐藤さんを福岡県内で殺害した。その後、書類を偽造して佐藤さんの田園調布の自宅を知人の医師に転売したとされる。

 1985年7月に警察は折山さんを逮捕した。その後、捜査側は1980年8月13日に福岡市内の山中で発見された遺体が、佐藤さんの遺体であると断定。折山さんが「捨てた」と供述したとされる場所から遺体が発見されていたことから、警察側は真犯人しか知り得ない情報を自白した——“秘密の暴露”を行ったとして、その供述を強力な証拠とした。

 一方、弁護側は、そもそも遺体は既に1980年に発見されていたものであることから秘密の暴露にはあたらないこと、さらには殺人に関する物証への疑問から「遺体は佐藤さんとは別人である」と当時の裁判から主張していた。

 いずれにしても犯行の正確な日時や凶器の特定といった殺害に関する直接証拠がないことから、裁判で焦点となったのが、折山さんが「取り調べで涙を流しながら語った」とされる自白の内容だった。

「『佐藤さんを中州のホテルで殺害しました。近くの雑貨屋で段ボールを購入し、死体を梱包して、ホテルの玄関まで運んでレンタカーに積み、杉林に遺棄しました』――そう折山被告は取り調べで供述しました」

 それが検察側による法廷での証言だった。だが、検察側が「折山さんが『自白』した」とする内容はこれだけではなかった。“犯行動機”についても当時の取調官は裁判で証言していたのである。