「頭が混乱してチンポコを切ってしまった」
実は裁判で佐藤さんのものとされた遺体は、全裸で陰茎が切除された状態で発見されていた。そのため当初、折山さんの弁護人は「財産目的ではなく、男女の怨恨が原因で見つかった遺体ではないか」と主張していた。
しかし、法廷に立った折山さんの取調官はこの不可思議な遺体の状態についても、「折山被告は取り調べで『頭が混乱して何がなんだかわからないままに佐藤さんのチンポコを切ってしまった」『恨みからそれを切ってやろうという気になった』と自白しました」と、証言したのである。
しかし、折山さん自身はこれまで「そうした供述はなかった」と否定している。
この“取調官が聞いた”とされる折山さんの「自白」の内容に信ぴょう性がないことを証明するために、折山さんの弁護団が今年12月14日に再審請求をする際に新証拠として提出するのは、佐藤さんが殺害されたとされる1980年7月以降も当人が生きていたとする物証である。折山さん自身が語る。
殺害されたとされる1980年7月以降も佐藤さんは生きていた
「羽田空港に佐藤さんと、当時彼の愛人であったトキさんとフミさんという六本木の台湾人ホステスを送っていったのが、私が佐藤さんを最後に見た姿です。あれは私が佐藤さんを殺害したとされる1980年の翌年の春か初夏ごろのことだったと思います。
佐藤さんとは、共同でやっていた不動産の仕事で必要な時以外は会う機会もありませんでした。警察には1985年に逮捕された後の取り調べで、佐藤さんの最後の足取りを追えるトキさんとフミさんの台湾の住所が記された名刺を渡したのですが、その後返却されることはありませんでした」
折山さんによれば、佐藤さんは殺害されたとされる1980年以降も、トキさんと会う際、折山さんの不動産事務所を介して連絡を取っていた。実際に、その時の通話記録を残したメモが残っていたのだという。
ところが「1985年に逮捕された後に警察に押収され、のちに返却された時には、1981年1月13日~19日の部分が抜き取られた」(弁護団)。この日付の前後にはトキさんから折山さんへ連絡があったという記録が残っていた。そのため、弁護団は「1月13日~19日の間に折山さんが佐藤さんに連絡して、トキさんとつないだといった趣旨の記述があったのを、警察が隠したのではないか」と主張している。