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「取り調べで涙を流して殺人を自白した」 調書なき異例の「自白採用」は冤罪だったのか? 検察官が証言した“不都合な真実”とは

田園調布殺人事件は冤罪だったのか #1

genre : ニュース, 社会

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一貫して殺害を否認していた折山さん

 そもそも検察が「自白の調書」をとらずに、取調官が「折山さんは『自白』した」と法廷で証言するという、一見“横暴”ともとれる行動に踏み切ったのは、なぜなのか。

 ポイントは、折山さんが逮捕された時の状況にある。折山さんは、「被害者の佐藤さんが失踪していたものの、遺体すら見つかっていない」状況下の1985年7月16日に“強行逮捕”された。警察と検察は当初、佐藤さんは東京で殺害され、遺体は都内のどこかに埋められたままだとみていた。

被害者とされる佐藤松雄さん

 折山さんは逮捕後、一貫して殺害を否認。警察は逮捕から5年前の1980年7月23~24日に佐藤さんが東京で殺害されたとみていた。しかし5年前の当時、どうしても何をしていたのか思い出せない。逮捕から数日後、折山さんは弁護士とようやく接見でき、預かった妻の伝言から、7月25日に佐藤さんと福岡を訪れ、共同で取り組んでいた不動産事業のための土地を見たことを思い出した。そこで「25日に佐藤さんが生きていたことがわかれば疑いは晴れる」と期待をもち、「福岡に行って自分のアリバイを確かめて欲しい」と取調官に依頼したという。

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『調べて欲しいなら山の中に埋めてきたとでも言ってみろ』

「当時の取調官は『お前の嘘につきあってられるか』という態度で、『二度と九州の話はいたしません』という署名入りの誓約書まで書かされていました。ですが、私は佐藤さんが生きていたことを明らかにするため、福岡に目を向けさせるのに必死でした。すると取調官は、『再び費用を使って調べに行くわけにはいかん。どうしても調べて欲しいなら、佐藤を福岡の山の中に埋めてきた、とでも言ってみろ。そこまで言われたら、こっちだって作り話じゃないかと疑っても一応は確認しに行かないわけにはいかん』と交換条件を出してきました。当時の弁護人も『事実については警察に調べてもらうほかない』といい、味方は誰もいませんでした。アリバイを調べてもらうためには、交換条件をのむしかありませんでした。

 それで、『福岡の山中で喧嘩になり、小川で転んだ佐藤さんを置き去りにしてきた』とか『ホテルで死んでいた佐藤さんを山中に捨てた』とか『(山の中の)その場所に埋まっているかもしれない』といった警察が作った調書にサインしたのです」(折山さん)

写真はイメージ ©️iStock.com

 すると折山さんは後日、検事に福岡県太宰府市の山林の地図を見せられ、訪れた場所にマルをつけるように指示されたという。

「これまでの私の言葉に疑いを持ちながら応じていた取調べとは一転し、検事が熱心に地図の作成を誘導してきました。何しろ5年前の話でしたし、適当にマルをつけましたが、『捜索の範囲は広くとっておいた方が安全』『どうせ調べるなら二度手間にならないように、ここにも丸印をつけてくれ』などと言われました。地図上のその場所は、車も入れない山道で、佐藤さんと立ち寄った場所と違うのは明らかでしたが、検事は『5年前には車が入れる道だったかもしれない。念のためチェックしておくだけだから』と譲りませんでした。