「有無をいわせない生の舞台の、異常な魅力に取りつかれ、その虜になることがまた芸人にとって、このうえない快感でもあった。」

 ビートたけしの自伝エッセイ『浅草キッド』(太田出版・1988)の一節である。

 公開されたばかりの映画『火花』もまた、舞台の魅力に取りつかれた者たちの物語だ。原作はいうまでもなく又吉直樹の同名小説である。

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©2017『火花』製作委員会

エキストラへの演出と、たけしの「有無を言わせない生の舞台」

 文春今週号には、巻頭グラビア「原色美男図鑑」に徳永役の菅田将暉、「阿川佐和子のこの人に会いたい」に又吉直樹と映画を監督した板尾創路、「ドキュメント 男の肖像」に神谷役の桐谷健太と、『火花』関連の人物が登場する。

「この人に会いたい」で板尾監督は、漫才師が書いた漫才師の物語を、「漫才師じゃない映画監督に撮らせたくないな」と思ったという。その一方で映画は役者のものなので、漫才師が主役を張るのも違うと思い、結果、大阪弁ネイティブの菅田将暉と桐谷健太が配役される。

 その菅田は劇中と同様に、相方役の2丁拳銃・川谷とふたりで公園などでネタあわせをし、また板尾監督は機会があるたびにスタッフの前で漫才をやらせる。

菅田演じる徳永の相方役を演じたのは「2丁拳銃」の川谷修士 ©2017『火花』製作委員会

 そんな菅田・川谷のコンビ「スパークス」は最後の舞台のシーンで、一発本番の撮影に挑むことになる。おまけに本物の劇場でおこなわれた撮影の現場で、板尾監督はお客さん役のエキストラに「面白かったら笑ってください。泣きたかったら泣いていいし、帰っても構いません」と伝える。たけしのいう「有無をいわせない生の舞台」をリアルに生み出そうとしたのだろう。

米朝の名言と、ボケとツッコミと客の三者による「火花」

 かつて桂米朝は、芸に悩み、ついには自ら命を断った弟子の桂枝雀の死に際して、「芸に到達点はない。あるとしたら、その日その時の客と演者の間にだけ成り立つ。焼き物なら形に残るけれど、そういうものではないのです」と語っている。

桂米朝 ©安藤幹久/文藝春秋

 落語に限らず、舞台はナマモノだ。温まったり冷めたりする、とらえどころのない客と、その温度に否応なしに影響されてしまう演者。ときに残酷な結果をもたらす修羅場に喜びや居場所を見出す者たちを描く映画だからこそ、一発本番で撮影したのだろう。そこでのボケとツッコミ、そして客の三者による刹那の邂逅がもたらす火花が本作の最大の見せ場となる。