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 ランクの高い花魁になってもお給料は少なかったでしょうね。花魁には新造という弟子が付くのですが、弟子が着物や修業の稽古代や、催し物の代金を自分で払うことができない場合、その時いいお客さんが付いている花魁は「いいわよ、助けてあげる」と、お代を出してあげることもあったのです。当然、そのお金も給料から引かれてしまいました。でも遊廓の外に出なかったようなので、お金はほとんど必要なかったのではないかしら。

『新美人合自筆鏡』(国会図書館デジタルコレクション)

 ちょっとわき道にそれますが、江戸時代は今と違ってチップ文化が浸透していました。遊女屋に上がったときにお客さんは色んなチップを配ったようです。でも、そのお金も遊女にわたることは無く、遊廓が回収していました。先ほどの15万円の中にはそういったお金も入っています。

【質問4】本当にあんなに豪華なキラキラした町だったの?

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 アニメや映画などで描かれているきらびやかな遊廓は、実際の遊廓とは少し違ったようです。着物や飾りもあんなにキンキラキンでなく、もっと高級で品が良いものを選んでいました。井原西鶴という作家が遊廓を舞台にした小説「好色一代男」を書いたのは江戸初期。この時代の遊女はかんざしを挿していないし、前帯といって大きな帯を前に垂らすことはしていません。さらには化粧もしていなかったようです。

井原西鶴『好色一代男』(国会図書館デジタルコレクション)

遊女にはすっぴんでもOKな美しさが必要

 遊女になる女性は、清潔で化粧をしなくてもいいような綺麗さが必要でした。ところが、時代が経つにつれて様々な遊女が働くようになり、同じようにはいかなくなったのでしょうね。だんだん化粧もするようになって、着物も豪奢になっていって、かんざしも挿すようになりました。アニメや映画で描かれる遊廓は江戸の終わりころの遊廓が参考になっているのかなと思います。

【質問5】遊郭では男の人も働けたの?

 遊廓の中では男性も働いていました。例えば楼主という遊女屋の経営者はほぼ男性でしたし、現代でいう遊女のマネージャーのような役割は女性とともに男性も務めることがありました。高級な遊廓はすごく手入れをしっかりしているので、掃除などの下働きをしている人も多く、経理などの事務をしている人もいましたね。