他にもお客さんと遊女屋をつなぐ茶屋にも働いている人はたくさんいました。お客さんを茶屋に案内する人、遊女を迎えに行ったり、遊女が茶屋にお客さんを迎えに行くときに三味線とかの荷物をもったり、芸者さんの手配をしたり、仕出し屋さんを手配したり、茶屋もたくさん仕事があります。遊女だけが目立つ遊廓ですが、それを支えるために多くの人が働いていました。
少年が売春をする「芝居小屋」もあった
実は遊廓ではないけれど15、6歳までの男の子がいくところがあったのよ。若衆、芝居子と言うのですが、芝居の世界に入って小さいころから修業をつむ子どもたちです。大きな芝居小屋は3つあったのですが、その下に小さな芝居小屋が今の両国あたりにたくさんありました。そこはランクの低い役者が入るところで、男の子は10代中頃には売春、つまり性的なことをしてお金を稼いでいたの。江戸時代に夜は灯りがないので昼間は芝居をして、夜暗くなると売春していたようです。
【質問6】借金が返済できないとどうなるの?
実は、借金が返済しきれなかった遊女がどうなったのかはよくわかっていないんです。遊女は年季という契約の期限が決まっていましたので、おそらく、返済しきれるように計算していたと思います。遊女の着物は町では着られないので、売って返済にあてた可能性もありますね。
遊女でいられるのはとても短い期間でした。16歳で始めて、長くても10年働けるかどうかだと思います。年齢を重ねるとお客さんが付かなくなってしまうので、だいたい二十代前半で遊女として働くのは難しくなってきます。
ひどい場合には「転売」されることもありました。別の場所から借金して、別の場所で遊女をやるケースです。その場合、どんどんランクは下がって行きます。吉原の中で落ちていくケースや、場所をかえて深川や品川の遊廓に勤めるケースもありました。吉原と深川・品川では待遇や衛生面で差があったのよ。吉原の方がしっかり管理されていて、暴力や病気からの安全も確保されていたようです。性病検査は明治になってから始まったのですが、それでも吉原で大きな病気が蔓延したということはありません。守られているところだったのね。