田中氏の失礼な態度に中川氏は…
「『お座り下さい』の一言もなく、立たせたまま、大相撲を観ていたそうです。陣笠議員など相手にしないと言わんばかりの対応に、中川氏らは怒って5分ほどで部屋を後にした。元々会食の席でも、田中氏は仏頂面でほとんど喋らない。そんな失礼な態度もあって、約5年前に定期的な会食は取り止めになった」(同前)
しかし、この一件で日大と自民党のパイプが切れた訳ではない。日大では、田中氏が理事長に就任した08年から学識経験のある学外理事のなかに、常に“政治家枠”を設けてきた。
「最初の3年は古賀氏、そして政権交代で09年に自民党が野に下ると、当時民主党の実力者だった小沢一郎氏を理事に選出。12年に自民党が政権を奪還すると、小沢氏を残して今度は鴨下氏を理事に据えました。直近では前選対委員長の山口泰明氏が理事を務めていました。こうして、常に政権与党で枢要な位置にいる日大出身議員を理事に迎え入れて来たのです」(同前)
田中氏の華麗な政界人脈を見せつけたのが、日大130周年記念を巡る二つのイベントである。
「周年事業の目玉として、前から近しい亀井静香元運輸相の尽力で危機管理学部を創設。16年春の開校祝賀会には亀井氏や文教族のドン、森喜朗元首相が姿をみせました」(日大元幹部)
田中氏の目配りは政治家の子弟にも
JОC副会長でもあった田中氏は、東京五輪招致を牽引した森氏との関係を誇示するように、当時から「招致資金の一部は自分が出した」と周囲に豪語した。
「田中氏の最高の栄誉となるはずだった130周年記念式典は、19年10月に行なわれました。アメフト問題で日大の権威が失墜する中、国会開会日にもかかわらず、麻生太郎財務相や山東昭子参院議長が駆け付けた」(前出・日大元幹部)
田中氏の目配りは政治家の子弟にも及んでいた。それが冒頭の発言だ。
「岸田氏の次男は新設のスポーツ科学部を来春卒業してスポーツ関連会社に就職予定。橋本氏の三女は日大の準付属高校から学校推薦でスポーツ科学部に入学し、今も在学中です」(同前)
田中氏には政治もまた、権力の道具に過ぎなかった。