1991年、ニューズウィーク誌で「世界で最も先進的な初期教育」として「レッジョ・アプローチ」を取り入れた幼児学校が紹介された。その教育はモンテッソーリを継ぐ画期的な手法であるとして世界中のインテリ層が注目している。『レッジョ・アプローチ 世界で最も注目される幼児教育』の著者で、自身も日本で子育て中のアレッサンドラ・ミラーニさんに、その特徴を聞いた。
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私がレッジョ・アプローチに初めて出会ったのは、今から十数年前のことです。当時私は、アメリカでしていた、獣医学の研究者という仕事を途中で中断し、日本に来て、インターナショナルスクールの幼児クラスの教師をしていました。イタリアで幼稚園教師の資格は取得していたものの、現代の、いろいろな文化的背景を持った子供を預かる国際的なクラスで教えるために、一番ふさわしい教育方法は何かを模索していました。そんな中で出会ったのが、1945年に北イタリアの小さな街、レッジョ・エミリアで生まれたレッジョ・アプローチという教育法だったのです。
グローバルな人材が育たない日本の教育
私自身、女の子と男の子、2人の子供の母親なのですが、我が子を最初は日本の公立の小学校に通わせていました。その体験から、どんどんグローバル化してゆくこれからの社会を背負って立つ人を育てるという観点から見ると、日本の教育には大きな欠点がいくつかあることに気付きました。
1つめは、教育内容が、子供たちから見て受け身の、知識の習得中心に偏り過ぎていること、そして生徒たちがペーパーテストの結果に縛られ過ぎていることです。
その一方で、知識を現実の社会や生活と結びつけて、創造的な学習をすること、自発的、かつ批判的な思考をしながら、クリエイティブに物事を推し進めていく力を養うような教育が、軽視されているように感じました。
2つめは、子供の個性を尊重し、伸ばすような教育がきちんと行われていないこと。特に中学校以降になると、全ての生徒が画一的に、無条件に守らなければいけない「校則」があります。でも、その校則が何のためにあるのか、子供や家族には説明がありません。ただ決まりだから、みんな守っているからというだけ。それを誰も不思議に思わない。そんな環境で個性的な人間が育つのかな、という疑問を持ちました。
3つめは、自分の考えを積極的に主張したり、他の子と議論したり、ネゴシエーションしたりということを、あまりにもさせないこと。実は、これが一番問題だと思います。自分とは立場や考え方が違う人と議論したり、コミュニケーションをとったりという機会が少ないまま育てられた子供は、これからどんどん社会が国際化する中で、様々に意見や利害、立場が異なる人々が一緒に働く場に置かれたとき、チームの仕事に重要な貢献をしたり、イニシアチブをとったりしていくことが、困難になると思います。