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《神田沙也加さん追悼》「親になるのはすごく怖い」“日本一有名な赤ちゃん”が“オファーの絶えない俳優”へ至るまでの「母親との確執と和解」「舞台人としての努力」

2021/12/20

genre : ニュース, 芸能

 大きな舞台の主演を務める最中の、突然の訃報。俳優・神田沙也加さんの35歳というあまりにも早い死は、大きなニュースとなり多くのひとに動揺をもたらしている。

 思えば彼女は、1986年10月に誕生したときから、「日本一有名な赤ちゃん」だった。

神田沙也加さん(本人のInstagramより)

「松田聖子と神田正輝が『聖輝の結婚式』を挙げたのは、1985年6月。翌春の妊娠発表から日本中がたのしみにしていた誕生だった。聖子が沙也加ちゃんを出産した東京逓信病院を退院したときには、夫婦そろって病院前で娘のお披露目会見をしましたが、取材のヘリコプターや集まった人々の歓声で会見のやりとりが聞こえないほどでした」(芸能リポーター)

 日本中にその顔と名前を知られる存在の沙也加さんは、スター・松田聖子と神田正輝の娘として生まれた宿命を背負っていた。幼稚園小学校と通った都内の私立学校では、入学や卒業、毎年の運動会のたびに数多くの報道がなされてきた。

松田聖子と神田正輝のそれぞれの“愛し方”

「いまと違って、当時のタレントの子弟へのプライバシーの配慮はあまりなく、沙也加ちゃんの顔写真もそのまま出ていました。活発で愛くるしい子どもでした」(同前)

 松田聖子は、取材の機会などがあるたびに尋ねられる「沙也加ちゃんの最近の様子」について、楽し気にリップサービスを交えつつ答えていた。

1996年、沙也加さんの運動会を見に来ていた神田正輝と松田聖子

「でも父、神田正輝さんはかなり気を使っていたように思います。沙也加さんが幼い頃は、世田谷区砧の豪邸に住んでいましたが、そこから数十メートルも離れたところに止まっている『張り込みの車』を見つけるんです。2ブロックも離れているのに、まず自宅に娘を入れてから車まで走ってきてドンドンと窓を叩き、『フィルムを出してくれ』と言われたこともありました」(写真誌カメラマン)

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