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《神田沙也加さん追悼》「親になるのはすごく怖い」“日本一有名な赤ちゃん”が“オファーの絶えない俳優”へ至るまでの「母親との確執と和解」「舞台人としての努力」

《神田沙也加さん追悼》「親になるのはすごく怖い」“日本一有名な赤ちゃん”が“オファーの絶えない俳優”へ至るまでの「母親との確執と和解」「舞台人としての努力」

2021/12/20

genre : ニュース, 芸能

 中学は、ほかにも有名人の子弟のいた千葉県内の全寮制私学に入学したものの、いじめの標的になってしまい間もなく退学している。

「その後、ロサンゼルスの中学に転入もしましたが、やはり馴染めなかったようで帰国して都内の私立女子中学校に転入しました。高校卒業するまでに、計4回もの転校をすることになったが、そのたびにその動向は芸能マスコミに報じられて注目を集めていました」(前出・芸能リポーター)

芸能界デビューでの「計り知れない重圧」

 だが、演技や芸能活動への想いはロサンゼルス時代から目覚めていた。アメリカで短編映画「おはぎ(ビーンケイク)」のオーディションに合格し出演。この映画作品は2001年にカンヌ国際映画祭でパルムドール短編部門を受賞したのだ。

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 SAYAKA名義で、芸能界デビューしたのはその2001年のことだ。

「アイスの実」のCMに出演し、翌年には「ever since」で歌手デビュー。翌2003年には映画「ドラゴンヘッド」で妻夫木聡の相手役を務めた。

「新人ではあっても、みんなが名前と両親を知っていて『結果』を期待される。そのプレッシャーはものすごかったはずです。でも2004年にオーディションに勝ち残り宮本亜門さんのミュージカルに出演したことで、今後の道筋を見つけていった」(同前)

2003年、松田聖子のコンサートにて

 母・聖子と父・神田正輝が離婚したのは1997年1月。沙也加さんがまだ10歳の頃だ。翌年には、聖子は年下の歯科医と“ビビビ婚”をしたかと思うと、ミュージシャンとの不倫騒動があったりもした。年下歯科医とは2年半ほどで離婚したものの、その後もほかの同居男性の存在が報じられ、2012年には同年代の歯科医師と3度目の結婚をした。

恋愛については「母・聖子のDNA」

 仕事に恋に忙しく飛び回る母のかわりに沙也加を“育てた”のは同居する聖子の母。「おばあちゃん子」だった。

「しかし沙也加さんの恋愛については、『母・聖子のDNA』と言われる部分がありました。デビュー当時には、共演した若手俳優。その次にひとまわり年上のバツイチのギタリスト。だがそのギタリストとの交際に猛烈に反対したのが、聖子と聖子の母でした。

 そして恋に走る沙也加ちゃんは家出をするように一人暮らしを始めたんです。当時は祖母が事務所の社長だったために、給料を取りやめるという“勘当”状態になってしまった。2005年、高校卒業後に1年半ほど『芸能活動の中断』をしていたのは、実はそれが原因だったんです」(芸能関係者)