村長のところまで来ると、二人は器に入っていた塩を同時に空に撒いた。それを見て、並んだ女性たちが全員拍手した。この儀式のようなものは、3回繰り返されたという。それが終わると、運転手が「これで帰れますね」と言った。
村人に別れを告げて、男が運転する車で元の山道を戻った。いつの間にか窓の外には見慣れた神戸の街並みが広がり、それを眺めていると病院に到着した。ちょうど1週間前、光の球に追われて病院を出たのと同じ、深夜の時間帯だった。
病室まで運転手が付き添ってくれて、おばあさんをベッドに寝かしてくれた。「大変お世話になりました。ありがとう」と言うと、運転手は帽子をとって会釈し、微笑んだという。
「村があった場所」へ行ってみた
そこまで話すと、おばあさんはKちゃんに「死ぬまでにあの人たちにお礼がしたい」と、その村まで車で連れて行ってほしいと頼んできたという。
その不思議な体験は、手術時の麻酔で意識が朦朧としている最中に見た光景なのかもしれないし、一種の臨死体験のようでもある。死が迫ったときに見ることがあるという、異世界なのか……。
そもそも、入院時におばあさんは足の骨を折っていたわけだから、車椅子なしで病院を出ることなどできない。だが、Kちゃんはおばあさんが嘘をついているようにも思えないという。
さらに、おばあさんは村でもらった服が残っているといい、Kちゃんに実物を見せたそうだ。確かにそれは今まで家の中で見たことのない服で、古い生地でできていたという。
おばあさんの話をどう受け止めればいいのか――。一人で悩んでいたKちゃんから一連の話を聞いた私は、彼女と一緒におばあさんが言う「村があった場所」へ行ってみることにした。
オブラート工場も探してみたが…
車で長田の山の方へ向かい、おばあさんの話を手がかりに捜索してみたが、それらしき村はどれだけ経っても見つからない。
村が見つからないのであれば、大人たちが昼間に働きに出ていたというオブラート工場を探してみよう――。そんな作戦も虚しく、やはりオブラート工場が存在した形跡すら見当たらなかった。
Kちゃんのおばあさんは今も、いたって元気だ。そのときは夢を見ていたのか、それともただの妄想だったのか……。
確かに兵庫県には隠れ里なる伝説も残っているし、純粋な心の持ち主だけがたどり着ける「迷い家」という伝承もある。「迷い家」の伝承では、その場所から何か一つでも物を持ち帰ることができれば、その人に幸福が訪れるという。
今回、Kちゃんのおばあさんは「服」を持ち帰った。……と考えれば、この不思議な体験は、おばあさんとKちゃん、そして1匹の猫が住むその家に、幸せが訪れる前兆なのかもしれない。