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「普通なんですが…」ネットを騒がせる“眼科の愛新覚羅先生”が明かす、やっぱり凄い“わが半生”――2021年BEST5

2021/12/31
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愛新覚羅先生、語る

──まずはうかがいたいのですが、ご本名ですか?

:はい、そうです。18歳のときに中国遼寧省から留学生として来日しました。

──日本育ちの方かと思っていましたが、中国でお生まれだったのですね。しかし、メッセージのやりとりだけでは、日本語のノンネイティブとは気づきませんでした。

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:遼寧省のトップ校の東北育才学校の出身なんです。中学生時代から第二外国語で日本語を履修していたんですよ。留学先はアメリカか日本かで迷ったんですけど、「女の子だから近所にいたほうが」という両親の希望もあって名古屋大学医学部に進学しました。大学院で英語圏に行く選択肢もありましたが、日本が好きになっちゃって……。そのまま日本で医師になり、家庭を築いて博士号を取り現在に至ります。

クリニックのホームページは日中英の3ヶ国語に対応。

──日本の一部のネット民の間では、おそらく5年くらい前から「ものすごい名前の女性眼科医がいる」と、お名前が知られていたようです。そのことはご存知ですか?

維:ええ、なんとなく……。ただ、私、こう見えても割と小心者なんですよ。これまでネットで自分の名前を検索していないです。なんだか、悪口とか書いてありそうで怖くて。

──大丈夫でしょう。見た限り「愛新覚羅 眼科 かわいい」みたいな書き込みのほうが多そうですよ。

:そうなんですか? よかったああ(笑)。

順治帝の子孫?

──ご先祖は王朝3代目の順治帝とのことですが。

:はい。亡くなった祖父からはそう聞いています。八旗(清の軍事・社会組織)では正黄旗に属していて、すこし前までは他の正黄旗の家とも付き合いがあったみたいです。ただ、私は18歳で日本に来てしまいましたので、詳しいことを聞かずじまいだったのですね。以前はあまり、そういうことに興味がなくて、むしろ日本に来てから関心を持つようになったくらいなので。

──八旗は皇帝直属の「上三旗」と皇族王侯に属する「下五旗」があって、正黄旗は前者側。当然、旗人のなかでも家格の高いおうちです。家伝の財宝がご実家に残されていたりはしませんか?

清の世祖順治帝(位1643〜1661)。父ホンタイジの急逝により6歳で即位。司馬遼太郎の小説『韃靼疾風録』にも登場。画像はWikipedia掲載の「乾隆年製大清世祖章皇帝朝服像」。

:それ、人からよく尋ねられるんですが、全然ないです(笑)。中国の民間の家庭で、家伝の財宝は残らないですよ。ただ、むかし、祖父から家譜(家系図)を見せてもらったことはあります。

──お祖父さまはどんな方だったんですか? 

:祖父の名前は愛新覚羅○○で、若い頃は大学教授でした。字輩(同じ一族の同世代の者の名前に共通して用いる漢字)でいうと、ラストエンペラーの溥儀さんの代です。ただ、「溥」とは違う字を使っている家系なのですが。

──たしかに、お祖父さまの字輩と「愛新覚羅」を組み合わせて中国の検索エンジンで検索すると、太祖ヌルハチの末裔とされる実業家、乾隆帝の末裔とされる上海市の人民代表大会代表など、遠縁のご親戚らしき人がごろごろ見つかりますね。中国国内の愛新覚羅さんには、書法家が多いようです。

2018年、第3子妊娠当時に撮影したマタニティフォト。ご先祖さまの肖像画とタメを張れるエレガントな存在感! 愛新覚羅先生のInstagramより。

:年配の方はみなさん書画が得意です。現代中国を代表する書法家だった啓功(雍正帝の9世)も愛新覚羅氏ですよね。祖父も書の心得がありました。もしかすると満洲語もすこし知っていたかもしれません。私や両親は、満洲語はまったくできないんですが。