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──書法家の啓功をはじめ、どうしても目立ってしまう愛新覚羅の姓を表に出さないようにしていたり、漢語姓である「金」を名乗ったりする一族も多いようです。映画『ラストエンペラー』の最後のシーンを挙げるまでもなく、往年は愛新覚羅の一族が迫害された例もあったのではないでしょうか?

:ええと、その件はいろんな意味で重い話になりますね。「お察しください」としか。

──1960年代ごろは、かなりしんどかったでしょう。

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:うちのおじいちゃん、大変な目に遭ったのによく90代まで長生きできたなあって……。

「大使館に伝えなくて大丈夫か?」

──話題を変えます。日常生活のなかでお名前について尋ねられる機会は多いですか?

:そうですねえ。1日1回は必ず尋ねられます。クリニックでは1日100人くらい患者さんがいらっしゃるので、1%の確率(笑)。当院は中国語診察にも対応しているので、中国人の患者さんがいらしたときは、ひとまずその話になりますね。もっとも、中国人の新規の患者さんで予約なしに来られる方はほとんどいませんから、驚かれる率は日本人のほうが高いかも。

──愛新覚羅姓ならではのエピソードも教えてください。

:以前に学会でアメリカに行ったとき、イミグレーションで「あなたはQing dynasty(清朝)の子孫か?」と聞かれたので「はい」と答えたら別室行きになりかけました。「亡命なのか?」「大使館に伝えなくて大丈夫か?」みたいなことを真顔で尋ねられるんですよ。同行の先生がたと一緒に「ただの学会参加です」と細かく説明して事なきを得ました。

──すごい(笑)。

:あとは、テストで名前を書くときに長くてちょっと大変とか、日本だとお店で名前を伝えると「2度聞き」されることが多いとか。でも、これがご先祖様からいただいた自分の名前ですからね。

──日本での学生時代、あだ名はありましたか?

:えーと、「アイちゃん」。

──アイちゃん(愛新覚羅)。

:研修医時代は「アイちゃん先生」と呼ばれることもありました。さすがに最近は「アイ先生」の呼び名のほうが多いですが……。

歴史の闇に埋もれたルーツ

 さて、実のところ、眼科の愛新覚羅先生──。もとい、アイ先生が清朝の宗室に連なる人であることを、客観的に立証するのは簡単ではない。彼女は成人前に祖国を離れて日本で長く暮らしており、しかも詳しい事情を知るはずの祖父はすでに亡くなっているためだ。

日本人にとってわかりやすい清朝宗室の系図。仮に順治帝の子孫であれば、日本でいう徳川家光・家綱くらいの時期に宗家から分かれたことになる。

 愛新覚羅氏には、清朝や満洲国の瓦解や文化大革命など、現代中国のさまざまな動乱を経るなかで、迫害を避けるために改姓した人も多い。中国が開放政策を採用した1980年代以降、復姓した人もいたものの、今度は逆にルーツを偽る「ニセ愛新覚羅」が大勢出た(私自身、過去に愛新覚羅の僭称者と思しき中国人と会ったことがある)。ゆえに残念ながら、姓だけを根拠として清朝宗室の末裔であるとは判断しにくいのが現状だ。

 とはいえ、僭称者と「本物」は、年配者ならば書画や漢詩のたしなみの有無でほぼ判別できる。若い人でも、満族らしい名前や容貌、ルーツに強い誇りを持っている、学識が深いといった要素がいくつか合致していれば、そこそこは推測ができそうだ(というか、清朝宗室に限らず国民党や汪兆銘政権なども含めた「非共産党」系のルーツを強く持つ中国人の子孫は、言葉遣いや雰囲気からなんとなくわかる場合がすくなくない)。

病院内に掲げられている東大医学博士の学位記。医師免許と博士号はいずれも愛新覚羅姓で取得。中国国内を含む海外での学会発表や論文執筆も「Wei Aixinjueluo」名義だ。(著者撮影)

 アイ先生の場合、実家の充実した教育環境、祖父や親戚のエピソード、他の中国人のパワーエリートとはちょっと違う雰囲気や立居振る舞い、さらに現在のご本人の学問的・職業的立場からして架空の話を公言する行為のメリットが薄いといった要素を総合して判断すれば、ここは素直に「本物」だと考えるのが妥当かと思える。

 中国のウェブ百科事典『百度百科』いわく、愛新覚羅の血を引く人は(おそらく改姓した人も含めて)30万~40万人を数えるという。そのうち1人が日本に留学し、眼科専門医かつ東大医学博士になっていたとしても、それほど不思議な話ではない。