苦しかった日々が財産に
雅子妃にとって、不特定多数の1800人の招待客と2時間余りを過ごされることはご療養中では初めてのことだった。
当日は、ご負担が大きいといわれる和装姿でお出ましになった。黄色い紅葉柄の着物は、ご療養前に作られたもので、雅子妃は、華やかで笑顔に満ちていた。両陛下から始まった参列した招待客へのお声掛け。雅子妃も両陛下に倣い、声掛けをされた。
「中でも車椅子の女性とは長い間お話されていたのが印象的でした」(宮内庁詰め記者)
園遊会後の雅子妃について、小田野展丈東宮大夫は会見で、「私が見るところ、随分とお疲れになっていたと思います。ただ、その後に全国育樹祭という大事な行事があったので、そこに向けての工夫と努力をされた」と述べた。
雅子妃は次の目標に向かうために、早くお疲れを取らなければならなかった。
それは大夫のいう通り、こちらも最後のご出席となる八大行啓のひとつ「全国育樹祭」(11月17日、18日、東京)にご出席するためだった。17日は、両陛下が植樹したイチョウの木を丁寧にお手入れされて、翌日には武蔵野の森総合スポーツプラザでおこなわれた式典に臨まれた。
9月25日から1泊2日で西日本豪雨の被災地訪問のため福岡県を訪れた際には、雅子妃ならではの、国民との寄り添い方も見られた。
仮設住宅・林田団地(朝倉市)をお見舞いになったときのことだ。
雅子妃は被災者代表で、車椅子に座っていた97歳の古賀チトセさんの手を両手で包まれて「冷たいですね。大丈夫ですか? 寒いところ待っていただいて……」と言うと、その雅子妃の手の上から皇太子も手を重ねられた。
お見舞いは予定時間を過ぎたが、さらに、後ろで待機していた80人の被災者の元に歩み寄った。「お身体には気を付けてくださいね。見守っていますから」と声を掛けると、被災者の女性の1人は「ご病気なのに来ていただいて有難うございます。雅子さまも頑張ってくださいね」と逆に励まされたそうだ。
雅子妃のご公務は、癒しながら癒される。自らの辛いご体験があるからこそ、苦境にある人と互いの気持ちに触れあえることがあるのだろう。苦しかった日々は、確実に財産となっていた。
小田野大夫もはっきりと「地方に行きますと、(地元の人から)『雅子さま頑張ってください』と言われることなどが励みになっている」と会見で語っていた。
12月9日の55歳の誕生日文書の中で雅子妃はこう綴っている。
〈この一年も色々な方のお力添えをいただきながら、体調の快復に努め、少しずつ果たせる務めが増えてきましたことをうれしく思っております。特に地方訪問などの折に、訪問先や沿道で本当に多くの方から笑顔で迎えていただきましたが、国民の皆様のお気持ちは大きな支えになっております。できる限りの公務に力を尽くすことができますよう、努力を続けてまいりたいと思っております〉