「全国民に歌われるようなヒット曲は、もはや生まれない」
奇しくも近年、昭和歌謡を牽引した偉大な音楽家の訃報が相次ぎましたが、その先生方は現代の若者たちの音楽を、すでにどこか冷徹に俯瞰なさっていました。そこで、その音楽家たちへのインタビューなどを引用しながら、私論を挟ませていただきます。
たとえば作曲家の筒美京平さんは、「今はシンガーソングライターの時代。作品よりもアーティストの個性、味が求められる時代なんじゃないかな」と語っています。
筒美さんの活躍された時代は、まさに分業制の時代。それぞれにその道のプロがいて、一緒になって作品を練り上げ、歌手と共に跳ねる。この“跳ねる”という表現も筒美さんの表現なのですが、そこには高度成長期の日本にあって、共に力を合わせてこの国を盛り上げていこうという気運が下地にあったのではないでしょうか。
かたや作詞家の観点から、なかにし礼さんは「全国民に歌われるようなヒット曲は、もはや生まれない」とした上で、「クラブで踊る音楽に芸術性は必要ありません。若者が自分たちと一体化できるような音楽を求めるわけですからかえってよくない」。
では、自分たちが築き上げた歌謡曲はというと「その作品には必ずや芸術性というのが備わっていたと思うのです。それはひらめきであったり、過去の歌を知る教養であったり、時代をすくいとって映し出す言語能力であったりしました」。
これには同時代のライバルとも言える阿久悠さんも、「かつてはその時代時代の中で生きる人の思いが形はどうあれ歌に反映していたものだが、いつのまにか聴きやすく歌いやすければいいという傾向になっていた」と、全く同義といえる見解を述べておられます。
お二人とも「いまの時代はそれでいい」という戦ったあとの風に吹かれた見地ながらも、なかにしさんは“作品自体に力がなくなった”とし、阿久さんは“歌がやせた”と表現しているところも似ています。