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現代人は大人に叱られたい?

 つまり、音楽そのものが、じっくり吸い込んで生きるために深呼吸するものではなく、一夜かぎりのカラオケで吹き飛ばせばいいものに変化したということか……。

 と、ここで寺内貫太郎のお叱りが。

「いまの歌には何の独創性もない! 右脳で歌をつくれ! 魂を使わず、左脳で理屈だけで歌をつくってもただの感心だけで感動がないんだ!」

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 思わず貫太郎口調になってしまいましたが、小林亜星さんもカラオケ文化を嘆きつつ、若者たちをやんわり叱咤激励しています。

小林亜星さん ©文藝春秋

 そう、この駄文をどこに持っていこうかと思いあぐねつつよろよろペンを動かしていたせた手を、ぴしゃりと下町親父に叩かれた気がしました。結局、なぜいま昭和歌謡が見直されているのかといえば、現代人は本当は心の中でもっと大人たちに叱られたいと思っているのかもしれません。

 叱るというのは、心を揺り動かし、包み込んでくれる何か。昔の歌はふくよかで、情にもろかった。現代の若者たちはそれを欲し、昭和を生きた者はそれを懐かしがる。歌の底にひそむ、みんなが一緒くたになった汗と涙のドタバタ悲喜劇とともに……。

 このコロナ禍は厄介この上ないことに違いはないのですが、“不自由”や“不便”を与えられたことは、どこか神様の啓示なのかもしれません。

 立川談志さんは落語を“人間の業の肯定”、歌謡曲を“人生の応援歌”と表現していますが、歌謡曲が生きた時代には、そう成り得た貧しさや暗がりが巷にも存在していたのでしょう。そんな街にぽっと灯をともすのは、やはり大衆歌。銭湯に響く鼻歌……。

 中学一年の時の担任で、その年に学校を去った老教師が色紙に書いた言葉をさいごに―。

 “もっと、唇に歌を”

◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『文藝春秋オピニオン 2022年の論点100』に掲載されています。