心意気だけでは将来は見えないし、給料も上がらない時代の構想
でもまあ、働き方改革のようなネタも含めて思い返すと、高齢者を健やかに寿命まで生きながらえさせるという理想はもちろん崇高なものなんですよね。「お爺ちゃん、長生きしてね」は美しい日本の姿だとは思うんですよ、ええ。しかし、それを実現するためにいつ死ぬかもしれない老人の介護に若者の貴重な労働時間を費やさせて、これといったスキルを得ることもなく安月給の介護の現場で疲弊させて良いのかという議論になるのも仕方がないところではあります。
どんなに頑張って介護したって、老人はそのうち死ぬんだよ。でも、ありがとうと思って逝ってもらいたい。なんだろう、この複雑な心境。見ず知らずのご縁もない老人がくたびれた姿で助力を求めるのであれば、人間として、あるいは日本人同胞としてせめてこの社会に生きたからには「日本で生まれ、暮らしてきてよかった」と思いながら生を全うして欲しいという気持ちはあります。
そういう弱い人をなんとかしてあげたいという献身的な精神で介護に取り組むのは良いことなのでしょうが、そういう人たちも心意気だけでは将来は見えないし、給料も上がらないでしょうから、相応の稼ぎを得て結婚して、子供を儲けて、とはならないのが難点です。
だからこそ、限りあるリソースを今後バンバン増える高齢者のために使うよりは、未来の日本を担う日本の若者のために使うべきだという議論は当然起きます。というか、少子化対策や育児の現場では予算不足が著しい側面もあり、幼少期教育を担う保育園・幼稚園の無償化や、将来的な高等教育についても改革が必要だと有識者はみな口を揃えて言うわけですね。
日本の優秀な頭脳が海外に流出するという話は、産業界でも発生中
ところが、実際に起きていることはディズニーランドでポップコーンを買い求める家族のような長蛇の列になっている待機児童だったり、線引が曖昧でどういう学生を入学させようとしているのかさっぱり分からない大学でのAO入試だったり、まあ部分最適を追い求めた結果の予算不足であることに間違いはありません。社会保障費の総額は国庫負担分も併せて120兆円を優に超えた割に、子供を産んだり育てたりするための費用はまあたいした予算がついてないってのが現状なんですよね。死ぬ日本人のために金を使って、これからを支える日本人に金を使わないのは、人生100年時代とか言ってる場合じゃないぐらい大変なことだろうというのはまあ理解はできます。
http://www8.cao.go.jp/shoushi/shinseido/meeting/kodomo_kosodate/k_27/pdf/s1_1.pdf
ただ、これからの日本人に金を使い、日本の生産性や産業の競争力に資する科学研究に予算を投下する姿勢というのは、アベノミクスからすると「頑張ってはいたかもしれないが、もっとも成果が出なかった分野」であることは間違いがないのも事実です。安倍晋三総理においては明らかな失政と言える部分であって、世界の大学ランキングは計測の仕方に問題があるとは言え東京大学で46位、日本で2番の京都大学で74位です。言い方は悪いですが、春入学のこんなレベルの大学がたとえ高等教育無償や負担減免を実現しても、本当に優秀な日本人子弟は国家の扶助を受けることなく海外の大学や研究機関に転出してしまいかねないという懸念は健全な危機感としてもっておくべきであろうと思うわけです。実際、日本の優秀な頭脳が海外に流出するという話は、先に産業界で発生し、日本の家電や科学技術を支えた研究者や技術者がアメリカや中国、韓国の企業に高給で引き抜かれ、日本が東芝やシャープ、オリンパスの問題ですったもんだしている間に抜き去られた分野が出てきてしまったというのは世耕弘成さんを1000回失脚させても拭い去れない喪失でした。