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紅白は「打ち切り危機」をどう乗り越えてきた? オワコン説とともに進化してきた“苦闘の歴史”

J-POPから見るニッポン

2021/12/27
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 そもそも紅白のピンチはここ数年に限ったことではない。70%台をキープしていた視聴率が1985年からどんどん下がり出し、1989年(平成元年)には打ち切りも検討されていたという。

 1989年といえば、カセットが主流だった音楽メディアにCDの需要がどんどん追いついてきたタイミング。吹き荒れるバンドブーム、そしておニャン子クラブの台頭。この年「ザ・ベストテン」も終了している。老若男女が納得するヒット曲が出にくい時代だったのだ。

 このピンチを2部制にしたり海外アーティストを呼んだりして乗り切った紅白。が、その後もグループアイドルの増加や、SNSの普及、配信サービスの登場、難しくなる人選など、ガスガス出てくる課題。

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 時代の風に何度も揺さぶられながらも、そのたびヒイコラと調整を図る紅白の意地と粘りは凄い。

空回りしていた2007年の紅白

 試行錯誤のあまり、空回りしている年も何度もある。私がよく覚えているのは2007年。まず紅組・中居正広、白組・笑福亭鶴瓶と「司会がどっちも男性」という奇策に出て驚いた。狙いが謎。さらに出場歌手を見ても、モーニング娘。とBerryz工房と℃-uteが1枠で登場、AKB48、リア・ディゾン、中川翔子も1枠(アキバ枠と呼ばれた)で初出場。紅組の押し込み技、ず、ズルくない? ハロプロファンの私ですら思ったものだ。

「アキバ枠」に対する白組の曲順は米米CLUBだった。彼女たちが歌ったあと、カールスモーキー石井が「はい、お子ちゃまたちは帰った帰った」とあしらっていたのが本当に懐かしい。あのAKBがこんなマンモスチームになるとは……。

AKB48(2011年撮影) ©文藝春秋

 この「アキバ枠」の登場は、パソコンの一般普及の象徴、流行の変化の兆しでもあった。

 オタク文化が一般認知度を高め、その後アニメも「子どものためのエンタメ」だけではなくなり、声優が活躍のフィールドを広げていく。2009年、声優として紅白初登場した水樹奈々の歌唱は、今でも覚えている。「こりゃ人気が出るわけだわ……」と分厚い声に殴られるような衝撃を覚えたものだった。

小林幸子が「ニコ動」を持ってきた!

 また、音楽デジタル化やカルチャーの変化を見事に乗りこなした大御所が小林幸子。昭和・平成はメガ衣装で紅白を大いに盛り上げたにもかかわらず2012年、落選。しかし彼女は、その後柔軟性を発揮し、ニコニコ動画に出演する。そして若者の評価を得、2015年紅白に返り咲くのだ。

 歌唱曲はボーカロイド・初音ミクが歌いヒットした「千本桜」。昭和からの大ベテラン、小林幸子が「ニコ動」という文化を紅白に持ってくるこの流れ、本当にエモい!

 ニコ動の画面を背にメガ衣装で歌う紅白のステージは、小林幸子とニコ動を楽しむ若者との総合舞台のような気がして、大感動した。

「千本桜」の興奮を思い出して熱くなってしまった。そんな幸子さまに比べ、私は本当に音楽の変化を受け入れるのが遅かった。長くテレビ文化にこだわってしまっていたのだ。