この岡山城や後楽園の存在からわかるとおり、岡山は池田氏が治めた岡山藩の城下町がルーツだ。だいたい古い城下町がルーツの地方都市は、ふたつのシンボルを町の中に持っている。近代以前の町の中核だった城、そして近代以降に町の玄関口になった鉄道の駅である。
この旧時代のシンボルたる城と近代化のシンボルたる駅が対になって、両者の周囲に官公庁街やオフィス街、繁華街などが集まっている。これが日本の多くの地方都市に共通する特徴といっていい。
「そう、岡山といえば桃太郎なのである」
岡山もまさにその例に漏れず、市街地の東側に岡山城があって、間に岡山の繁華街や歓楽街を挟んで西側に岡山駅があるという構造をしている。その間をほとんど一直線に結んでいるのが、路面電車も走っている目抜き通り、その名も「桃太郎大通り」である。
そう、岡山といえば桃太郎なのである。岡山出身の人が帰省するときまって吉備団子を土産に持ってきて、仲間になれと押しつけてくるが、それはともかく岡山はとにかく桃太郎イメージが強い。
岡山=桃太郎のイメージは、岡山駅にやってきた時点ですでに圧倒的に植え付けられる。駅前に出ると広場のど真ん中に犬猿雉を従えた桃太郎の像があるし、駅前ポストの上にもかわいらしい桃太郎が乗っかっている。駅前から伸びているアーケードの商店街の入口にもまさにパカッと割れんとしている桃がぶら下がる。
件の通り駅前目抜き通りも桃太郎大通りといい、その桃太郎大通りの入口には妙に生々しい桃太郎の像がこれまたあって……。
と、このように「岡山ってどんなところなんだろう」とのんきにやってきた人の脳内を、瞬く間に桃太郎で埋め尽くすようになっている。それどころか、駅の中に戻ってどの列車に乗ろうかな、などと路線図を見ると「桃太郎線」などというナゾの路線が書かれている。岡山~総社間を結ぶローカル線・吉備線に桃太郎線という愛称を付けて呼んでいるだけのことなのだが、なんともまあ、徹頭徹尾桃太郎、なのだ。
「岡山=桃太郎」はいつから?
桃太郎は、日本中の人が知っている定番の昔話だ。だから別にここであらすじを追いかけるつもりはない。ただ、岡山駅さん、そこまで桃太郎をアピールしなくてもいいんじゃないですかね、とは少し思う。もはや、「なんで岡山って桃太郎なの?」と疑問を抱く人もあまりいないのではなかろうか。いつしか、日本人には桃太郎は岡山発祥の物語、とすり込まれているのだ。
ところが、調べてみると岡山=桃太郎になったのは実はそれほど古いことではないという。昭和のはじめ、難波金之助という人物が『桃太郎の史実』という本を書き、吉備地方に伝わる温羅伝説が桃太郎のお話とよく似ているよね、だから桃太郎の舞台は岡山だよね、と主張したのだ。これがきっかけになって、いつしか岡山は桃太郎の町になった。
山梨の大月やら香川の高松やら愛知の犬山やら、桃太郎ゆかりの地は全国あちこちにある。そもそもがフィクションの物語だし、岡山が桃太郎発祥の地であるという確たる証拠はないようだ。
まあ、発祥の地論争というのはあらゆるものについてまわるものだし、どこが発祥であっても今の日本人の暮らしには何の影響もないから好きにやればいい。いずれにしても、今や多くの人が岡山と桃太郎を結びつけるようになっている。それには、駅前の桃太郎アピールがいくらかは貢献しているのかもしれない。