美川憲一の舞台のはずがオードリーの春日が主役のような形に…
中村美律子が『河内おとこ節』を歌う際にはペアのようにTOKIOの5人が張り切り(2008年~2010年)、鳥羽一郎はやたらと後ろで旗を振られていた(2003年TOKIO /2004年氣志團、氷川きよし、堀内孝雄、山本譲二/2006年ゴスペラーズ、ウルトラマン)。
1990年代に巨大衣装で話題をさらっていた美川憲一はこの時期、バラエティ枠のような扱いをされた。ラスト4年に歌った曲はいずれも『さそり座の女』のアレンジで、『オペラバージョン』『パラパラバージョン』『サンババージョン』『インド風バージョン』と続いた。
それは良いとしても、毎年ステージに著名人が登場した。2006年は真島茂樹が最後だけ出てきて「真島、出過ぎよ。お下がり!」と美川がピシャリと締めたが、年々演出はエスカレートしていった。翌年にはIKKO、翌々年にははるな愛が加わり、2009年はオードリーの春日俊彰が主役のような形に。4人で“鬼瓦”の顔をして舞台を終えると、司会の中居正広が「誰が紅白に選ばれたんですか?」と突っ込んだほどだった。
それでも、美川は〈私、ド派手にやったでしょう? クククッ。昨年は第60回目の紅白だったし、私自身もデビュー45周年の記念すべき年だったから、絶対にお祭り騒ぎがしたかったのね。〉(2010年1月19日号・週刊女性)と懐の深さを見せていた。結局、鳥羽は2007年、美川は2009年、中村は2010年が現時点で最後の紅白になっている。
一年の最後に、田舎のじい様、ばあ様たちが来し方を振り返れるような歌を
演歌勢減少の事態を危惧した北島三郎は、紅白勇退の前年こう述べていた。
〈時代の流れといってしまえばそれまでなんだけど、近頃じゃ紅白でも、日本の歌である演歌の歌い手が、少なくなってますよね。代わりに若人が出てくる。(中略)せめて紅白だけは、一年の最後に、田舎のじい様、ばあ様たちが来し方を振り返れるような歌をやれたらいいなあと〉(2012年3月号・文藝春秋)
北島の願いも虚しく、その傾向はさらに増していく。2015年を最後に出場48回の森進一、39回の細川たかし、22回の伍代夏子、21回の藤あや子と4名もの大物が選ばれなくなった(細川は今年、特別枠で復活)。演歌ではないが、出場39回の和田アキ子も現時点ではこの年がラストになっている。