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「最初は紅白の裏番組。向こうが芸能人ならこっちは素人だって…」萩本欽一(80)が明かす「欽ちゃんの仮装大賞」誕生秘話《“今回で私この番組終わり”発言の真意も聞いた》

萩本欽一独占インタビュー #2

2021/12/30

 物事は“遠くする”とヒットに近づく――。萩本欽一が常々唱える理論である。42年間も続く『全日本仮装大賞』(日本テレビ系)は、視聴率70%台を誇った『NHK紅白歌合戦』の裏番組という最も数字の取れない時間帯からスタートしていた。(全2回の2回目/1回目を読む

「欽ちゃん」こと萩本欽一 ©️文藝春秋 撮影・宮崎慎之輔

「こっちは素人にしたほうがいいんじゃないですか」『あ~素人ね』って

 昭和の大晦日の夜、民放テレビ局にはあきらめムードが漂っていた。21時から始まる『紅白歌合戦』の視聴率があまりに高過ぎて、勝負にならないのだ。そんな国民的人気番組に対し、日本テレビは1975年から3年間、コント55号を起用して『紅白歌合戦をブッとばせ!!』と意気込んだが、視聴率は1ケタに終わった。1978年には、人気絶頂のピンク・レディーを擁しても遠く及ばなかった。翌年秋、『コント55号のなんでそうなるの?』などのディレクターを務めた齋藤太朗氏が萩本の元を訪れた。またしても、紅白の裏番組に関する相談だった。

「どうしたらいいと思うか聞かれたから、向こうは芸能人がたくさん集まってるんで、こっちは素人にしたほうがいいんじゃないですかと言ったんですよ。それなら負けて当然だし、僕も気が楽だって。齋藤さんは『素人?』と聞き返したりしないんです。『あ~素人ね』って」(萩本、以下同)

わざわざ巻物にタイトルを50個くらい書いてきた

 1979年の紅白の裏番組を見ると、フジテレビは『スーパージャム’79―’80』で吉田拓郎、森山良子、松任谷由実、松山千春のコンサートの模様を伝え、テレビ朝日は『ロックフェスティバル’79』で内田裕也、桑名正博、宇崎竜童、アン・ルイス、ジョニー大倉などを揃えた。東京12チャンネルは『なつかしの歌声』で東海林太郎や岡晴夫らの過去の名場面を届けた。同じ歌で応戦する他局に対し、萩本の発想は真逆だった。

1979年12月31日、朝日新聞のテレビ欄

「何日か経って、企画を持ってきてくれました。わざわざ巻物にタイトルを50個くらい書いてさ。『良いと思ったらストップと言ってくれます?』って。自分でタカタカタン♪ とか音楽を入れながら、巻物を下ろしていくの。その中に仮装とね、もう1つ良いのがあった。齋藤さんが『どっちがいいの?』と聞くから、仮装かなと言ったら『俺もね、これ引っかかったんだ。ありがとう』ってすぐ帰っちゃいました」