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「最初は紅白の裏番組。向こうが芸能人ならこっちは素人だって…」萩本欽一(80)が明かす「欽ちゃんの仮装大賞」誕生秘話《“今回で私この番組終わり”発言の真意も聞いた》

萩本欽一独占インタビュー #2

2021/12/30
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番組史上初の不合格はブレイク前の竹中直人が仮装した時だった

『仮装大賞』の出場者といえば、家族やクラスメイトなど団体のイメージが強い。しかし、1回目は“大晦日の夜”という条件から、ほとんど個人に絞られた。ブレイク前の竹中直人が『松田優作のドラキュラ』に仮装し、番組史上初の不合格者となっている。

「竹中さんが出ていたって、あとで知りました。よくマイナーな番組にブチ当たったよね。この時に出ようと思うって、(良い意味で)どっかおかしいよね。普通なら家族団らんで年を越すでしょう。だから、独身の男性とかおっかさん(妻)と喧嘩したおとっつあんとかばかりでしたよ(笑)」

竹中直人 ©文藝春秋

「まさか人が汽車になると思わないもの。誰も想像しなかったね」

 萩本は大会前、女装やフラダンスなどの仮装を予想していた。しかし、出場者のアイデアに舌を巻く。自分の体を黒く塗って、タバコで煙を出しながら前に進む『蒸気機関車』が第1回の優勝に輝いた。他にも芋虫の姿からチョウに変わる『蝶々』、マグロやイカ、エビなどを演じる『寿司』などが登場した。視聴率は紅白の77.0%に対して4.8%だったが、民放1位に。吉田拓郎や松任谷由実の『スーパージャム』は2.6%、内田裕也や宇崎竜童の『ロックフェスティバル』は1.4%に終わった。素人が人気歌手に勝ったのだ。

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「まさか、人が汽車になると思わないもの。誰も想像しなかったね。終わった後、齋藤さんと2人で『紅白の裏ではもったいないね』と話したの。そしたら、『他の時間帯でちょっと実験してみようかな』と動いてくれて、2回目もできたんですよ」

©️文藝春秋 撮影・宮崎慎之輔

 第2回は1980年5月3日のゴールデン帯で放送され、14.8%と3倍もの視聴率を獲得。第4回には20.8%と大台に乗せた。そして、1982年以降は正月、ゴールデンウィーク、秋の年3回に拡大していった。身体中をモールで飾った子供がジタバタ動いて『線香花火』を表したかと思えば、アメリカ人留学生が『明治神宮』のような格好をして「明治神宮でございます。どうぞよろしく!」と叫ぶだけの作品もあった。多彩な仮装が視聴者の目を惹いた。

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