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誰もやらない特別なことって大体当たる。だからワクワクして見てた

 萩本は齋藤ディレクターに全幅の信頼を寄せており、求められない限りは意見を述べないという。

「(企画)50個ですよ。1個しか選ばれないのに。すごい執念。本当に尊敬します。わざわざ巻物まで作ってさ。努力や苦労が乗っかってるじゃない? 誰もやらない特別なことって大体当たるんですよ。だから、ワクワクしながら見ましたね」

©️文藝春秋 撮影・宮崎慎之輔

 今でこそ日本でもハロウィンが流行しているが、当時は仮装文化など定着していなかった。最初の予選会の様子を、齋藤氏は著書でこう綴っている。

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〈男が女に仮装をすると思っている人が多かったのだ。奥さんつきで来て女装するという人やら、裸になって踊る人もいて、もう大変。〉(2000年2月発行『ディレクターにズームイン!!』)

審査員の山本晋也監督も駆り出されて、呼び込みをした

 玉石混交の中から約80組を選び、生放送の『欽ちゃんの紅白歌合戦をぶっとばせ!第1回全日本仮装大賞「なんかやら仮そう!!」』は新宿コマ劇場で本番を迎えた。観客にも仮装を求めたが、大晦日の夜に変身して電車に乗り、見知らぬ番組を観覧しに行く者はほとんどいない。最低気温3.7度の中、スタッフは必死で歌舞伎町の通行人に「中は温かいし」「ちょっと2時間ぐらい付き合ってくれませんか」などと声を掛けた。審査員の山本晋也監督も駆り出されて、呼び込みをしたという。

「行き場のない人を引きずり込んだっていうさ(笑)。寒いし、大変だったとスタッフから聞きましたよ。だって、人通ってないもん。映像だとお客さん入っているように見えますけど、カメラをちょっと引いたら、スカスカだったと思いますよ。大晦日に来ないでしょ~。ほとんど男の人でしたね」

©️文藝春秋 撮影・宮崎慎之輔

 1979年大晦日22時台、テレビの総世帯視聴率は88.0%(ビデオリサーチ調べ/関東地区。以下同)に上っており、外出している人自体が稀だった。スタッフは、なんとか呼び込んだ通行人にマスカレード仮面を渡した。相当な場数を踏んできた萩本にとっても、全ての観客が仮装している光景は異様に映ったのではないか。

「頭に何か乗っけたり、重いものを被ったりしてるから、風通しが悪くて頭が痛くなる人とかいたね。目に見えて、お客さんがどんどん疲れていく。CMの時に『取っていいから! そんなもん乗っけてると、笑えなくなる。ずいぶん暗い顔になってるぞ!』とか言ってましたね。もうね、見ててハッキリわかるんですよ、(観客の気分が)すっーと下がっていくのが」