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「途中でコントをやめて『20%出てる!』って大騒ぎだったよ」萩本欽一(80)が明かす紅白“裏”番組の想い《「紅白歌合戦をブッとばせ!」と立ち上がった2人のコメディアンの物語》

萩本欽一独占インタビュー #1

2021/12/30

 74.8% vs. 1.2%――。長嶋茂雄が「我が巨人軍は永久に不滅です」の名台詞を残して引退した1974年、『NHK紅白歌合戦』の人気は永遠に続きそうな勢いだった。民放は1960年代に紅白の裏番組としてボクシング中継やお笑いの特別番組を放送することもあったが、勝負にならない。1970年代には“国民的行事”と呼ばれる紅白への挑戦も減少していき、いつも通りレギュラー番組を流す局が大半を占めた。

 昭和、平成、令和と時は流れ、近年の視聴率は紅白が40%前後、日本テレビの『絶対に笑ってはいけない』が20%前後と徐々に差は縮まってきた。そんな“紅白裏番組”の歴史を振り返る時、1975年から3年間続いた『輝け!特別生放送!紅白歌合戦をブッとばせ!! コント55号のなんてことするの!?』はエポックメイキングな番組だった。今回、“攻める日テレ”の系譜を作った萩本欽一が文春オンラインの取材に応じた。(全2回の1回目/2回目を読む

「欽ちゃん」こと萩本欽一 ©️文藝春秋 撮影・宮崎慎之輔

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紅白の出演依頼は、1年頑張ったかどうかのバロメーターだった

 ユリ・ゲラーのスプーン曲げが大流行し、日本にセブン-イレブンの1号店が開店した1974年の大晦日、『紅白』は74.8%という驚異的な数字を叩き出した。初出場の山口百恵と西城秀樹のトップバッター対決で幕を開け、トリでは島倉千代子と森進一が同名異曲の『襟裳岬』で勝負。後世に語り継がれる『紅白』の裏で日本テレビの視聴率(ビデオリサーチ調べ/関東地区)はどうだったのか。

 1.2%――21時台『鞍馬天狗』、1.8%――22時台『火曜劇場 献身』、0.2%――23時台『11PM』

 レギュラー番組を放送したが、全く歯が立たなかった。そんな焼け野原に、翌年『紅白歌合戦をブッとばせ!!』と立ち上がったコメディアンがいた。萩本欽一と坂上二郎のコント55号である。

1977年12月5日「紅白をぶっとばせ」の会見でポーズをとるコント55号 ©共同通信

「その年ね、NHKから紅白の応援で出演依頼があったの。自分にとって、1年頑張ったかどうかのバロメーターだったから嬉しくてね。そしたら何日かして、日本テレビが来たの」(萩本、以下同)

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