1月13日に還暦を迎えたばかりのTRFメンバー・SAMさん。明治時代、曽祖父が埼玉・岩槻で医院を開業し、現在も一族で総合病院を営む医師家系の一員でありながら、「ダンサー」という道を選んだ独立独歩の人としても知られる。「丸山正温」から「SAM」になるまでの半生を聞いた。(全3回の1回目/#2、#3に続く)
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90年代初頭から見た目がほとんど変わらない
――SAMさんが還暦を迎えるということですが……TRFでデビューされた90年代初頭から見た目がほとんど変わらないですよね。
SAMさん(以下、SAM) いやいや、当然体力も落ちているんですけど、動きのキレは確実になくなってきてますよね。
――毎日身体と向き合っているSAMさんだからこそ、微妙な変化にも気づかれるんでしょうね。髪型もずっとロングヘアで。
SAM 何回か切ろうと思っていろんな美容師さんに相談したんですけど、皆に「絶対SAMさんはそれがいいですよ!」と言われて切ってもらえなくて……。それこそタモリさんに「髪切った?」と言われたくて、髪型を変えるならそこしかないと思ってたら『笑っていいとも!』が終わってしまいました(笑)。今は完全にタイミングを失っています。それにもう少しハゲると思っていたんですけどね。
――たしかに額も狭いままといいますか。
SAM 昔のPVを見るとわかるんですけど、これでもだいぶ上がってきたんです。何十年も髪の毛を縛っているから毛根に負担もかかってるでしょうし、もちろん老化もあるし。
でも、もともと額がないくらい狭かったので、今ちょうどいいあんばいになってきたと思ってます(笑)。僕の父は40代後半でかなり薄くなっていましたから、髪質は母方譲りなんでしょうね。
男兄弟は全員医者に「将来は自分も医者になるんだろう」
――お父様といえば、埼玉県岩槻市(現・さいたま市岩槻区)に丸山記念総合病院を創設された方ですよね。SAMさんの実家は明治時代から続く医者の家系、というのは有名な話かと思いますが、やはり小さい頃はプレッシャーが強かったですか。
SAM ずっと病院が遊び場でしたし、「将来は自分も医者になるんだろう」という感じで、疑問にも思わなかったですね。結局、男兄弟は僕を除いて全員、医者になっていますし。
――SAMさんだけダンスの道に行ったんですね。どんな子でしたか。
SAM 僕が通っていた獨協(中学校・高等学校)はわりと進学校で、不良なんてクラスに数人しかいない環境でしたが、そのグループにはしっかり入っていました。といっても“ファッション不良”みたいな感じで、悪いことをするような感じではなくて。その流れで友だちと一緒に初めて行ったディスコでダンスを見て、もう衝撃だったんです。