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「歌手のバックでは踊らない」というポリシーがあった

――TRFといえば、今や当たり前となった「ダンス&ボーカルグループ」の先駆けですよね。このスタイルはどうやって生まれたのでしょう。

SAM もともと僕の所属していたMEGA-MIXというダンスチームがTRFの母体みたいなもので、僕たちはダンスチームとしてデビューできると思ってたんですよ。

 そうしたら途中で突然YU-KIちゃんが出てきて、「私このチームのボーカルになるんです」と。当時彼女はZOOにいて以前から顔見知りでしたが、僕らはチームのメンバー同士なのに知らされていないことだらけでしたね。

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――誰も小室さんの頭の中の「TRF像」の全貌は知らないままだったんですね。

SAM 小室さんって当時からずっと、基本的に何も説明してくれないんです。曲についても事前に希望を聞かれたからドロドロのヒップホップとかアシッドジャズを渡してたのに、完成した曲はバリバリのテクノ。正直どんなことがしたいのかさっぱりわからなかったけど、もしかすると小室さん自身もビジョンが見えていなかったのかもしれません。

 

――「ダンサー」が「バックダンサー」でなくチームの一員である、という体制は当初から?

SAM MEGA-MIXでやっていたときから、「歌手のバックでは踊らない」という変なポリシーがありました。「僕らは“ダンサー”として有名になってみせる」みたいな思いが強かったんです。その後『EZ DO DANCE』がヒットして、マハラジャやキング&クイーンといった全国のクラブを回るツアーをしていく中で、ライブのスタイルも確立されていった感じですね。

――クラブでツアーをしていたとは……。TRFはめちゃくちゃアンダーグラウンドから出発してたんですね。

SAM 全然ぽっと出でもないし、トントン拍子でもなく、めちゃくちゃ下積んでます(笑)。

――下積み時代を経て、93年に『EZ DO DANCE』が大ヒット、ロングセラーを記録したときは感慨もひとしおだったのでは。

SAM ところが僕は嬉しくなかったんですよね。やっぱりまだ世間としては「バックダンサーでしょ」という見方が強くて、誰もダンサーをTRFのメンバーとして見てくれなかったから。TRFが売れた後も、僕たちが一員として認知されるまでには時間がかかりました。

「SAMたちのソロはギターやドラムのソロと同じだから」

 

――そういう受け止めだったんですね。当時私は小学生でしたが、SAMさん、CHIHARUさん、ETSUさんと、ダンサーメンバーの名前も覚えていた記憶があります。

SAM 最初の頃は、僕たちのソロパートでも照明を当ててくれませんでした。照明さんに言っても「お前らはどうせバックダンサーだろ」といった感じで聞く耳を持ってもらえず、結局小室さんに言ってもらったんですよね。「SAMたちのソロはギターやドラムのソロと同じだから、ちゃんとピンを当ててくれ」って。

――小室さんの言葉は、SAMさんたちダンサーの本質を理解している感じがしますね。

SAM 小室さんとは本当に苦楽を共にしてきた感覚があります。僕にとっては間違いなく恩師で恩人ですね。