98年頃、TRFが小室哲哉プロデュースから離れた理由
――一方で、TRFは98年頃に小室さんプロデュースから離れます。これはどういった経緯で?
SAM その頃、僕たちが所属するエイベックスの中で「今後TRFをどうするか」みたいな会議が行われたんです。別に僕らは「このままでいいよ」と思ってたんですけど(笑)。
――方向転換、イメチェンしたい、みたいな空気が会社にはあったんですね。
SAM そこで「“trf”を大文字の“TRF”にして大人のグループにしよう」という結論になったんです。でもデビュー時点で30歳でしたから、「すでにけっこうな大人なんだけどな」とは思っていました(笑)。
そういう経緯で、みんな黒っぽい衣装にスーツみたいな衣装を着たりとか、KOOちゃんも長いカラフルなドレッドだったのが、黒の本格的なドレッドに変えたり。その頃から小室さんからも離れてセルフプロデュース状態になっていきました。小室さんも拠点を海外に移していたので、前のように気軽に連絡が取りにくくなっていたこともあります。
――2000年代はリリースが途絶えた時期もありました。その時期SAMさんはどんな活動を?
SAM 2000年から2005年までは新譜も出さず、TRFとしてはまったくのブランクでした。その頃、僕個人はV6やBoAのコンサートプロデュースをやったりしていて、裏方に回っていた感じです。
――他のメンバーと連絡をとることもなかったのでしょうか。
SAM いや、逆に連絡をとるようにしてましたよ。CHIHARUとETSUはダンスを通じてしょっちゅう会っていたんですけど、YU-KIちゃんとKOOちゃんは本当に年に数回しか会わなくなっていたので、「元気?」って電話するようにしていましたね。
実は「解散」という言葉が出たことはないんですよ
――30年の中で、「解散」というワードが出たことは?
SAM 実はその言葉が出たことはないんですよ。ものすごく強い意思で「TRFは絶対続けるんだ!」というより、「望まれたとき、望まれた場所で何かできればいいよね」というスタンスというか。だからメンバーのみんなも「あえて解散を謳わなくてもいいよね」と。活動したくないときはしなければいいし、新曲が出したくなったら出そうよ、という感じでここまできました。
ただ今年は結成30年を迎えます。ここ5年ほど新曲を出してないので、そこはちょっとエイベックスにも頑張ってもらいたいなとは思ってます(笑)。
写真=榎本麻美/文藝春秋
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