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皇室内の調和と母親である皇后陛下をサポート

 それは、特に母親である美智子皇后を助けるという側面も大きかったように思われる。週刊誌などのメディアによるいわゆる「美智子皇后バッシング」を受け、皇后が失声症になったあと、清子内親王は1994年4月、誕生日を機に宮内記者会の質問に対し、皇室報道について、「皇太子さまのご婚約が決定する前には、マスコミによって騒がれた多くの人々の生活が乱され傷つきました。今、私のことについて同じような状況が繰り返されているのをとても心苦しく残念に思います。実際とまったく違うことが事実として報道され、その真偽が問われないまま、その上に批判が加えられるということは、大変危険なことだと思います」と文書で回答し、自らの結婚に対する憶測報道だけではなく、その前の皇太子の結婚に対する報道、そして皇后に対する報道を含めて、皇族としての見解を表明したのである。それはバッシングを受けた母親の声を代弁したものと言えるだろうか。

2005年11月15日、披露宴会場に入る黒田慶樹さん、清子さん夫妻を拍手で迎えられる天皇皇后両陛下(当時) ©共同通信社

 このように清子内親王の活動を見てくると、その時の皇室内を様々に調和させたり、特に母親である皇后をサポートしたりするなどの役割を担っていたと思われる。

新年をお迎えになった天皇ご一家 宮内庁提供

 雅子皇后は未だその病状は回復途上である。愛子内親王が皇后をサポートしながら、場合によっては一緒になって公務を担っていく可能性は充分にありえるだろう。そして現在、当時以上に皇族の数は減少している。それぞれの皇族の意思を尊重しながら、皇室内の調和・調整を担うべき人物が必要かもしれない。それが愛子内親王に求められる可能性はあるのではないか。