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愛子さまの今後と、天皇の娘であった黒田清子さん

 では、愛子内親王の今後はどうなるのだろうか。その際、天皇の娘であった黒田清子(紀宮)さんの取り組みが参考になると思われる。清子内親王はすでに成年前から公務を行っていた。とはいえ、愛子内親王と同じように成年となっても「大学の行事を優先させながら、活動する」(「朝日新聞」1989年4月18日)と言われたように、学習院大学文学部国文学科での学びを重視する姿勢が貫かれた。

1989年12月18日、タンザニア大統領夫妻を歓迎する宮中晩餐に、美智子さまと一緒に出席された紀宮さま(当時) ©共同通信社

 そこには、「将来は結婚されて市民生活をされるため」(「朝日新聞」1989年1月9日夕刊)と表現されたように、近い将来に結婚によって皇族を離れることが想定されており、だからこそ皇族としての公務を行いつつ、一般生活にも慣れる必要性がかなり意識されていたとも言える。その点では、今回の有識者会議の答申によって結婚後も皇族に残る可能性が出てきた愛子内親王とはやや異なるようにも思われる。

「感情のもつれがあると最初に気づくのも紀宮様」

 また、清子内親王は成人後、単独で行事出席のために地方を訪問したり、ベルギーやタイなどの外国訪問も行ったりした。そして、平成の天皇・皇后や2人の兄、その家族との結節点になることも求められていく。「ご学友」の高木美奈氏によれば、清子内親王は母である皇后の影響を受け、様々な気遣いを見せていたという。そのなかには、兄の秋篠宮と川嶋紀子さんとの交際を気遣う面もあった(高木美奈「プリンセス・サーヤの青春」「文藝春秋」1993年11月号)。

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2005年、新年一般参賀で談笑される雅子さまと紀宮さま(当時) ©文藝春秋

 こうした姿勢ゆえか、平成の皇室内部を描く週刊誌の記事では、「ちょっとした感情のもつれがあると最初に気づくのも紀宮様」(「週刊文春」1993年6月17日号)と書かれている。それぞれの人物の結節点として、また触媒的に皇室内での調整役を担う役割が清子内親王に期待されているのである。