文春オンライン

「父が吐血した日、私は泣いた」終戦後、日に日に弱る父…田辺聖子の日記に書かれた若き日の“嘆き”

『田辺聖子 十八歳の日の記録』より#3

2022/01/27

source : 文藝出版局

genre : エンタメ, 読書

note

 家は汚いし。私はウロウロしている。父の病気はよくならず、食気(くいけ)ばかり盛で、母がいないとニチャニチャと音を立てて缶詰をたべる。どこにアンドリウのような聖者的なところがあろう。母はたしかにケアリ(※アンドリウの妻)をしのぐ偉大さがある。

 今の私は何か機縁があったら自殺するだろう。こればかりの不幸に出遭ってクヨクヨするなんて、なんだという人があるかもしれぬが、私は雄々しくのり切ろうとしても、だめ。それは結局、私自身を偽り、私自身を不純にしてしまうことだ。清純にして強く逞しきもの、それを望んでいるのに、私の現実は私を圧しつけて不純にしようとする。

 父が吐血した日、私は泣いた。おどろきと恐れと悲しみで。

ADVERTISEMENT

 しかし今また私は冷然としている。あの涙は少女期にありがちな感傷であろうか。

父・貫一(田辺家所蔵)

もやしのように青白く細くなってく父

11月1日 木曜日

 父の病気は一向、はかばかしくなく、家中はじめじめしている。母までが暗い眉をしていると、たまらない。我々の用事はたいてい父でふさがり、しかも精神的にこの暗澹さに支配されてしまうのは腹が立ってたまらない。愛情の薄れた病人に対して、私の態度が尖っているなんて怒っても無理はないと思う。父の病気で、私は気がふさがり、何をしても楽しくなくてつまらない。

 2週間経つと試験は始まる。しかし私は、晴れ晴れとして試験を受けられないで弱っている。

 寮の食糧難は相当深刻であるが、私はこれについて書く元気も持たない。すべてに疲れ、叩きのめされ、ぐったりとなっている。父の溜息、しかめ面を見聞くと、何となく腹が立つ。悲しくもなる。ある意味で私は利己主義にちがいない。しかし、どうしてあんなに父は痛がるのだろう。便通がないからかもしれない。母はしきりにさすっている。奥の間で終日、日の目を見ず、もやしのように青白く細くなって万年床で寝ている父は、はなはだ貫禄がなくなり、つまらなくなって、どんよりとした瞳をしている。物を食べたがるが、少し食べると腹が張って痛むから始末に負えない。

えらくなって、母を安心させてあげたい

 家の経済状態は暗黒だ。母が今まで働いた金であやうく家を支えもっている。それを思うと、父はずいぶん母に感謝せねばならない。父がどれだけ母に世話になったか、考えてみると、全くどう言っていいか分からないほどであろう。

 いつか喧嘩して父が母を撲(なぐ)ったことがあったが、今頃再びあんなことがあったら、父の手は朽ちてそのまま凍りついてしまうかもしれん。