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 年明けには菅氏は産経新聞の「単刀直言」というコーナーに登場していた(1月13日)。

 ここでも菅氏は、

「昨年9月3日に自民党総裁選の不出馬を表明しましたが、緊急事態宣言の期限を8月31日から9月12日に延長する方針を固めた(8月中旬)ころから(不出馬の可能性を)頭に入れていました。9月12日で(宣言を)終え切れない場合は私自身総裁選に出馬すべきじゃないという思いでした。」

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©文藝春秋

 つまり「8月中旬」から不出馬を考えていたと言っているのだ。またまた御冗談を、不出馬表明をする9月3日までなりふり構わず権力闘争していたのは菅さんでしょうに。

必死の「延命策」が裏目に

 当時をおさらいする。岸田文雄氏が「総裁になったら二階幹事長を再任しない」という先制パンチを放つと、菅氏はすぐさま岸田案をパクって二階外しを決断。そのあと下村博文氏を呼びつけて出馬断念に追い込む。総裁選を先送りして9月中に解散という奇策も選択肢に入れた。これは8月31日の夜に毎日新聞に報道され、翌日に否定せざるを得なかった。情報戦でバチバチやってたこの時点まで菅氏がやる気満々だったことはわかる。「8月中旬」から不出馬を考えていたとは思えない。

 当時の記事を振り返ろう。

岸田文雄 ©JMPA

『「菅離れ」一気、方策行き詰まる…解散・人事など延命策が裏目に』(読売新聞オンライン2021年9月4日)

《菅首相が3日、自民党総裁選への不出馬を表明したのは、党役員人事や衆院解散、総裁選先送りなど、自らの方策がことごとく行き詰まったためだ。》

 策士、策に溺れたのだ。

 政局のことなんてどうでもいいじゃないかと思う方もいるだろう。しかし当時報道されていたのは「五輪が始まれば盛り上がるので、その雰囲気のまま解散総選挙へ」という菅氏の「戦略」だった。すべて権力闘争と繋がっていたのだ。だから検証が必要なのである。

 それなのに、本人がインタビューに答えてくれるからといって、年末年始の記事だからといって、当事者の言いっ放しをツッコみ無しで載せてしまうのはどうなのだろう。これは「一人改ざん」にもつながらないだろうか。せっかく当事者にインタビューするのだから検証記事が読みたい。