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92歳で胆のうがんを患った作家・瀬戸内寂聴「娘ではなく『血のつながらない家族』が身近にいてくれる」

source : 文藝春秋 2015年3月号

genre : ライフ, 人生相談, ライフスタイル, 医療, ヘルス

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癌と分かって大騒ぎ

 自分が癌だと言われても、私は少しも動揺しませんでした。私の周囲には癌になった人が多く、肉親も恋人たちもみんな癌で死んでいったせいか、怖くなかったのです。しかもそのときに「この癌は消える、もう自分は癌で死ぬことはない」という確信がありました。

 あとになって、私が癌だという話が広まると大騒ぎになりました。エッセイに自分が癌だと書いたら、秘書は削ろうとしましたが、私は平気でそのまま掲載したのです。すると世間の反応は大変なもので、圧迫骨折がどうでもよくなってしまったほどです。

「ああ、みんなは本当に癌に弱いんだな」と改めて感じました。むしろ世間の敏感さに、こっちがびっくりしました。

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 私の病室に癌の先生がこられて、「手術でとりますか? このままにしますか?」と尋ねられました。92歳という年齢を考えてのことでしょうが、私は「癌があるなら、ついでだから取ってください」と言いました。そうしたら先生はニコッとして「わかりました」と言って、9月17日の手術が決まりました。

 このときの手術は、開腹するのでなく、お腹に3カ所の穴を開けるだけの腹腔鏡下手術という方法です。お臍から腹腔鏡という小さなカメラを入れ、テレビモニターで内部を観ながら、細長い鉗子(かんし)で胆のうを引っ張り出します。

 手術そのものに不安はなかったものの、全身麻酔は初めてだったのでちょっと怖いと思いました。それに、全身麻酔から醒めるときにおかしな夢をみるとか、言っちゃいけないことを口走るとか聞いていたので、心配なこともありました。

 ところが、いざ手術を受けてみると、その全身麻酔が何とも言えず気持ちがよかったのです。麻酔が効きはじめると、だんだん全身が甘い感覚に包まれてきて、フーッと意識が薄れていく。本当に気持ちがいい。「死ぬ瞬間もこうなら、死とは素晴らしいことだ」と思えたほどの気持ちよさでした。

 

 意識が薄れるなかで、ふっと思い出したことがありました。里見弴先生の言葉です。

 里見先生は満94歳で亡くなりましたが、晩年にとても親しくしていただきました。亡くなる前年、私は先生と長い対談をして、そのとき「先生、死ぬってどういうことですか?」と尋ねました。すると里見先生は「死とは無だ。自分は死ぬことが怖くない」とおっしゃいました。無というのは、何もないということですから、「それじゃ、先生があんなに好きだったお良さんにあの世で会えると思わないんですか?」と重ねて尋ねました。お良さんは里見先生の愛人だった方で先に亡くなっています。すると先生は、「お良だってもう死んでいるから無だ。だから会えないよ」と言われました。

 里見先生が何度も言われた「無」という言葉がずっと頭に引っかかっていたので、全身麻酔で意識が遠のきながら「ああ、これが無か」と思ったのです。

「これが無なら、死とはなんて甘美なものだろう」

 このまま意識が戻らなくてもいいという気持ちのまま、スーッと意識がなくなりました。

 麻酔から醒めるときも、また何とも言えない甘い感じがして、カーテンが音もなく開かれるように意識が戻りました。小説になるような夢をみないかと期待していたのに、何もありません。そうやって意識を失って「無」になったのは一瞬のようでしたが、その間にお腹の穴から胆のうが摘出されていたわけです。

 あとで取り出した胆のうを見せてもらいましたが、「焼いて食べたら美味しそう」と思わず言ったぐらい、きれいな色をしていました。

 今年1月、手術から4カ月後に癌の検査を受けました。胆のうの周辺に癌細胞が残っている恐れもありましたが、いまのところそれはないようです。もし他の臓器で癌細胞が見つかったら、こんどはあまり積極的には治療しないで、自然に任せて死んでいこうと思います。私も数えでいえば94歳ですから、もう十分に生きました。いま死んでも思い残すことは何もない。だから、癌の再発もちっとも怖くありません。あの甘美な無の世界に入るのだと思えば、なおさらです。

 手術から1週間後には退院して嵯峨野の寂庵に戻りました。自宅療養から数えて4カ月間ほど寝たきりでしたから、自分ひとりではまともに歩くこともできません。

 

 ショックだったのは、自宅のお風呂場で鏡の前に立ったときです。8キロやせていて全身の肉が落ちてしまって、本当におばあちゃんの身体になっているのが情けなくて情けなくて。圧迫骨折になる少し前、写真家の荒木経惟さんに会っていたので、「ああ、あのときアラーキーにヌードを撮ってもらえばよかった」と悔やみました。20代の秘書にそのことを話すと、彼女は「92歳のヌードなんて誰に見せるんですか?」と呆れているので、「誰にも見せない。92歳でも、こんなにふくよかで素敵な肉体だったと自分の慰めにするのよ」と言い返しました。あれは本当に残念なことをしたといまも悔やまれます。

 退院直後は、ベッドで1分間も座っていられないほど弱りきっていました。ご飯をいただくのも横になったまま。それが嫌でなんとか座ろうとしても無理なのです。