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 私が退院してから、自宅に3人のスタッフが交代で泊まりにきてくれるようになりました。『死に支度』に登場する20代の女性2人と、寂庵のお堂係の女性です。

 お給料を払って雇っているスタッフですが、私が「血のつながらない家族」と呼ぶようにとてもよくしてくれています。私がそう言うと、彼女たちは「何を言ってるんだか」という顔をしていますが。

 私は25歳のときに4歳の娘を捨てて家を出ました。その娘とは縁あっていまは普通に付き合っていますが、彼女には彼女の生活があって、私が病気になったからといってすぐ飛んでくるわけにはいきません。申し訳ないとは言ってくれますが、私だって育てていない立場ですから、娘の世話になろうとは夢にも思っていません。故郷の徳島には甥や姪もいますが、みんな高齢ですし、血のつながりだけで頼るのはおかしな話です。

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 いまは介護つきの老人施設に入るなど、血がつながらない人たちのお世話になるのが当たり前の時代です。むしろ血がつながっているために、面倒が多い場合もたくさんあります。人間と人間のつながりは不思議なもので、たとえ他人であってもご縁があれば、本当に気の合う人に巡りあうことができます。血のつながりはあまり考えなくていいのではないでしょうか。

 3年前に寂庵に若いスタッフが来てから、私は笑うことが増えました。65以上も年の離れた彼女たちの発想は、思いもかけないことばかり。ボーイフレンドとの付き合い方を聞いても、あまりにあっけらかんとして、恋愛の自由もここまできたかと私が驚くほどです。彼女たちのフェロモンのおかげか、自分がどんどん若返っている気さえするのです。病気で弱った肉体がこれだけ早く回復してきたのも孫より若い彼女たちが身近にいてくれるからでしょう。

もっと小説を書きたい

 昨年の夏にあれだけ痛かった神経痛も、いまはお薬などでずいぶん収まってきました。ただ雨の日や疲れが出た日には痛みますが、それも我慢できる範囲です。

 足腰のほうは自分で立って歩けるほど回復したので、今年の6月頃にはまた法話や講演が再開できればいいなと考えています。

 いま一番困っているのは手のほうで、長く寝ていたせいで手に力が入らなくてペンがまともに握れないのです。60年も小説を書きつづけてきたのに、いまはまったく書くことができない。短いエッセイなどは口述筆記もできますが、小説になるとそうはいきません。

『死に支度』のあと、私にはもう何も書くものはないと思っていましたが、いまはやっぱり書きたいと思っています。今回の病気を経験して、病気や死、苦しみなどに対する考え方が私のなかで大きく変化しました。それに、全身麻酔で味わった「無」の感覚があんまりいい気持ちだったので、もう少し確かめたい気持ちがあります。

 どう書けばいいかはまだ頭のなかでまとまっていませんが、『死に支度』を瀬戸内寂聴最後の小説にはしたくないという強い思いがあります。何かそういう湧き出てくるものがある。これが小説家としての才能だとすれば、まだまだ自分の才能は枯れてないと思うのです。

写真=松本輝一/文藝春秋