姉弟の「序列」が逆転
あまり指摘されていないことだが、秋篠宮家は悠仁さまの誕生によって、戦後初めて姉弟間の「序列」の逆転を経験した宮家である。
悠仁さまは、2006年9月6日に誕生した。皇室においては、秋篠宮さま以来、41年ぶりの男子だった。
前年の2005年11月には小泉純一郎総理大臣が旗振り役を務め、皇室典範に関する有識者会議により、女性天皇や女系天皇を含む皇位継承資格拡大案が取りまとめられていた。悠仁さまがお生まれになるわずか3カ月前には、男女雇用機会均等法の改正法案が成立している。それまで「女性差別禁止」を謳っていた同法律が、「男女双方に対する差別を禁止」と大きく性格を変えたのである。
その社会的な気運の中で、眞子さまと佳子さまは姉として、現在の天皇、秋篠宮に次ぐ皇位継承順位第3位の立場の弟を迎えることになった。
ちなみに、上皇には4人の姉がいる。しかし上皇の生まれた昭和(8年)と悠仁さまが生まれた平成(18年)では、女性を取り巻く社会的状況は大きく変わり、その意味は大きく異なるだろう。当時の東宮家や他の宮家(常陸宮家、三笠宮家、桂宮家、高円宮家)を見渡しても、次世代の男子はいない。秋篠宮さまは父親として、東宮家も経験していない難しい舵取りを迫られたのである。
皇位継承者を育てることの重責
次世代の男子がお1人である以上、「皇位継承者であるか否か」の根幹である性別の違いは、様々なところであらわれる。日常における宮内庁職員や国民の視線、「帝王教育」の有無。ご結婚に際しても、男子のお妃選びには宮内庁が大きくかかわるが、結婚して皇室から離れる女子のお相手にはそれがない。多感な年ごろの14歳の眞子さまと、11歳の佳子さまはこうした周囲の視線の「変化」を、どのように受け止められただろうか。
かつて、『週刊文春』でお茶の水女子大学附属幼稚園に通われている悠仁さまの独自写真を掲載した折、紀子さまが血相を変えられて「この子は皇位継承者です。もし、カメラではなく銃で狙われていたら......」と一層厳重な警備を依頼されたと聞く。直系の天皇家ではない傍系の宮家が皇位継承者を育てることも、近代始まって以来のことであり、重責である。