臨床心理士である東畑開人さんの書籍『心はどこへ消えた?』は、心についての問いかけの物語だ。あなたは心を見失っていないか? いや、そもそも今の社会では、心のための場所が消えてしまったのではないか?
巨大な経済の不安定さや社会の大きな変動に振り回され、見失われた心が再発見されるまでの物語をつづった同書より、2月の中学受験シーズンに届けたいエッセイを紹介する。
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ついに中学受験の神様が母に降臨
親が神懸る。そんな経験がおありだろうか。私にはある。忘れもしない、中学受験前夜のことである。
中学受験は親子による総力戦になりがちだ。なにせ当事者である受験生自身がドッジボールとかテレビゲームとかに夢中になるような年頃なのだ。そんなガキンチョが将来のリスク回避と自己投資を計算して、受験しようと決意するはずがない。親が夢を見て、親が計画を立てる。親が指揮して、子が勉強する。親が将校で、子は兵卒なのが中学受験だ。
少なくとも私の家はそうだった。いや、違う。我が家の場合はなぜか、勉強まで母親がしていた。もちろん、私も一応、つるかめ算とか二酸化マンガンとか京浜工業地帯とか勉強した。涙ぐましい努力をしたはずだ。しかし、それ以上に母親が勉強していたのである。第1志望校であった名門麻布中学の過去問を、母親は繰り返し繰り返し解いていた。蛍の光窓の雪、過去問解く月日重ねていたら、ついに中学受験の神様が降臨した。私にではなく、母親に。
「明日は漁業が出るぞ出るぞ」受験前の最後の晩餐を終え、台所で洗い物をしていたはずの母親が憑依していた。異言を話し出したのだ。「焼津港の水揚げ高出るぞ出るぞ」