戦慄する私に、母親が参考書の漁業のページを開いて迫ってくる。「汝、ここを頭に刻みてから、寝よ」受験の神様は言った。「さすれば、麻布の門は開かれる」
冷え切ったローストビーフ
1995年2月3日、極寒の夕暮れ。私と母は開かれた麻布の門をくぐった。周囲には総力戦を戦い抜いた親子たちがいて、列をなして奥の院へと向かう。皆一様に緊迫した表情をしている。だけど、奥の院から戻ってくる親子たちには2種類の表情がある。歓喜に満たされた親子と、絶望に打ち砕かれた親子。不安になる。俺はどっちなのか。
ピロティをくぐると、中庭に出る。人がごった返している。白く冷たいライトが、もっと白い掲示板を照らしている。黒い数字が並んでいる。硬く凍った昆虫のように見える。合格者番号だ。泣き崩れる少年がいて、歓声をあげる少年がいる。俺はどっちなんだ。
人をかき分ける。私より目のいい母親が先に歩みを止めた。見上げると、凍りついた表情で、掲示板を見つめている。私はもっと近づき、自分の番号を探す。ない。噓だ。もう一度探す。前後の番号はある。だけど、私の番号はない。確かにない。どうして。
漁業のせいだ。なぜよりによって漁業が出たんだ。日本が魚食大国だからなのか。いや違う。そこは問題じゃない。どうしてあのとき、漁業の勉強をしなかったのか。母の開いたページに載っていた図がそのまま出題されたというのに。
母を人ごみに捨てて、広尾の駅に向かって走る
わからない。だから、母に打ち明ける。「漁業なんか出ると思わなかった」母は驚く。「噓でしょ……やらなかったの?」白いライトが痛い。「うん、普通出ると思わないでしょ」「でも、出たじゃない」「出たよ、だからこうなってるんじゃん」話は終わる。
二人で麻布の門まで歩く。もう二度と私たちに対して開かれることがない門をくぐる。沈黙が苦しい。「一人で帰る」私の口が勝手に動く。「……わかった」母は答える。母を人ごみに捨てて、広尾の駅に向かって走る。
一人になると、混乱が少しだけ和らぎ、その代わりに悲しくなってくる。俺の人生で麻布に通える日は絶対にやってこないのだ。泣いてしまう。国語の参考書に載っていた「みじめな」という形容動詞はこういうときに使うのだ。