「速水健朗×おぐらりゅうじ すべてのニュースは賞味期限切れである」のスペシャルゲストに『おしゃれはほどほどでいい』(幻冬舎)を上梓した野宮真貴さんをお招きしました! 3人で90年代の「渋谷系」とファッションについて語ります。(全3回の1回目。#2、#3に続きます)
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「高校時代からピチカート・ファイヴ=東京だと思っていました」
速水 はじめまして。速水健朗です。
おぐら おぐらりゅうじです。
野宮 野宮真貴です。今日はよろしくお願いします。
速水 さっそくですが、僕はいま44歳なんですけど、40歳を超えて唯一泣いたのは、リオ・オリンピックの閉会式で『東京は夜の七時』が流れた瞬間なんです。
野宮 あら。私も見るまでは知らなかったんですよ。ただ、事情を知っていた友人が「とにかく閉会式はリアルタイムで見てね」とだけ言っていて。見たら「あれ、聞いたことある曲だな」って。
速水 あんなに東京を肯定している曲はないですよ。しかも、何の脈絡もなくかかりましたし。
野宮 演出も感動的でしたよね。
おぐら 「東京」をテーマにした曲は時代も世代も超えて数多ありますが、『東京は夜の七時』はいわゆる上京物語として憧れの東京を描いた曲ではなく、東京を使いこなしている視点と都会的な音色が別格だなぁと改めて感じました。
野宮 すごく都会的ですよね。
速水 僕は地方出身なので、高校時代からピチカート・ファイヴ=東京だと思っていました。野宮さんはその象徴で、都会のキラキラを体現している特別な存在です。
野宮 うれしいです。ありがとうございます。
おぐら 僕はいま36歳で、初めてピチカートの曲を聴いたのは、フジテレビの『ウゴウゴ・ルーガ』でした。
野宮 『ウゴウゴ・ルーガ』のテーマ曲が『東京は夜の七時』だったんですよ。
おぐら 1994年の『ウゴウゴ・ルーガのピチカート・ファイヴ』というアルバムが最初です。
野宮 そういう出会い方もあるんですね。
「最近渋谷系って呼ばれてるらしいよ」ぐらいの感じ
速水 渋谷系っていう言葉、野宮さんはアルバムのタイトルにも掲げて、非常に引き受けてらっしゃいますよね。そもそも、その言葉自体、あとから作られたもので。当事者としては当時そういった意識はなかったと思うんです。自分たちが渋谷系だ、という。
野宮 はい。ありませんでした。最初はね。
おぐら もともとはメディアだったりシーンの外にいた人たちが使い始めた言葉で、売ったり広めたりするのに便利な言葉。“系”というからにはカテゴライズされてしまうので、表現をしている当事者の人たちは、渋谷系と呼ばれることを基本的にはよく思ってないですよね?
野宮 「自分は渋谷系じゃない」と言う方もいました。ただ私は「最近そうやって呼ばれてるらしいよ」ぐらいの感じで。あんまり気にしてなかったんです。