昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

野宮真貴×速水健朗×おぐらりゅうじ#1 90年代の渋谷系とファッションを語る

「速水健朗×おぐらりゅうじ すべてのニュースは賞味期限切れである」

90年代、渋谷には「しょっちゅう行ってました」

速水 実際、90年代には渋谷に遊びに行ったりしていたんですか? 

野宮 事務所も渋谷にありましたし、しょっちゅう行ってましたよ。あとは、やっぱり当時の渋谷は音楽とファッションの中心地でしたから。レコード屋さんもたくさんあって。小西さんも渋谷のいろんなレコード屋さんに足を運んでいたみたいですね。

速水 あの頃、渋谷のレコード屋はどこに行っても「小西康陽のおすすめ!」っていうポップがありました。

野宮 そうなんですか(笑)。私はレコードにはそこまで興味がなくて、レコード屋さんもほとんど行かなかった。でも当時はオリーブ少女と言われていた10代の女の子達が「可愛い!」ってアナログをジャケ買いしていましたよね。

おぐら 高校生のときにそういう情報を聞いて、小西さんも卒業生だし、大学行くなら青学しかないと思って入ったのですが、実際はベレー帽にボーダーみたいな女の子はキャンパスに全然いなかったですね……。

 

速水 おぐら君が大学に入った2000年代は、もう渋谷系の全盛期が過ぎていた時期だから。

おぐら それでも渋谷キャンパスのすぐ近くにあるクラブ「青山fai」では、フリーソウルのパーティとかはまだやってました。渋谷のDMRにも再発のレコードがたくさん売っていて、キティ・ウィンター・ジプシー・ノヴァとかアリス・クラークとか、だいぶ注ぎ込みましたよ。

野宮 そういう文化はまだ残っていたんですね。

グルーピーの女の子たちではなく、ロックシンガーになりたかった

速水 野宮さん自身は、ピチカートに加入した頃はどういう音楽を聴いてらしたんですか? ピチカートマニアの人たちはみんな音楽にめちゃめちゃ詳しくて、ロジャー・ニコルズとか当たり前に聴いているような中、キャラクターとしては「私はミック・ジャガーが好きだから」みたいなパブリックイメージがあったと思うんですが。

野宮 当時ロジャー・ニコルズとかは小西さんに教えてもらって知ったぐらいですね。ピチカートに正式加入する前、まだ田島貴男君がリードボーカルだった頃に、コーラスで参加していたんですけど、その時はLAメタルとか聴いてました。

 

速水 なるほど。そこが一番キッチュなロックンロールですもんね。

野宮 ファッションもかなりロックでした。

おぐら ピチカート加入前の野宮さんを写真で見たことありますが、髪を立てて黒いバンドTシャツを着てました。

野宮 そんな時代もありましたね。

速水 そういった野宮さんの感性に、小西康陽が融合したからこそのピチカート・ファイヴだと思います。ピチカートに欠かせないキッチュさは、野宮さんが持ち込んだものだと僕はずっと思っているんです。

野宮 そうかもしれません。

おぐら 野宮さんのロックへの憧れとして、グルーピーの女の子たちを目指すのではなく、あくまでロックシンガーのほうになりたかったっていう話が好きなんです。それで当時は野宮さんの一人称が「僕」だったという。

野宮 いま考えるとやばいですよね(笑)。