「ああ見えて実はいい人」の落とし穴
こういうエピソードは政治家なら必ずあるだろう。半径5メートル以内を虜にする、人たらし的な部分は必要だ。政治家は番記者などメディアを含めむしろ内輪を大事にしてくるはず。
しかし、ああ見えて実はいい人という関係性は、石原氏の差別発言や、外国人への憎悪を煽る排外的発言、社会的弱者への偏見などもなあなあにしていないだろうか。その結果としてひどい言葉を発してもオーケー、だって都知事が言っているのだからと、政治家の問題発言を許容する風潮が生まれる一因になったと思う。超公の立場にいた石原氏の発言についてはもっと検証されるべきではないか。
問題発言はなぜ繰り返される?
一昨年に石原氏がツイッターに「業病のALS(筋萎縮性側索硬化症)に侵され自殺のための身動きも出来ぬ女性」と投稿して批判が殺到したことがあった。
毎日新聞は『ALS嘱託殺人 石原慎太郎氏の差別発言はなぜ繰り返されるのか 「業病」ツイートの根底に優生思想』(2020年7月30日)と検証していた。
業病とは「前世の悪業の報いでかかるとされた、治りにくい病気。難病」(デジタル大辞泉)のこと。もちろんALSの原因は業病ではないし患者に責任はない。
この記事では、石原氏の他の発言も取り上げている。同性愛者に対する「どこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティーで気の毒ですよ」という発言である。どうしてこういう思考になるのか。LGBTに関する情報を発信する「一般社団法人fair」代表理事の松岡宗嗣氏は、
「『生殖能力』で人の価値を推し量るという点で共通しており、優生思想が根底にある。そうした思想には、誰しもある日突然、マイノリティーになる可能性があり、自分が排除される立場になるかもしれないという想像力が欠けている」
と解説している。