――中学生としての日常と、大ヒットドラマの撮影現場とを行き来するって、パラレルワールド感がありますね。
野村 ホラードラマだったので、現場で「キャーっ!」と叫んだ数時間後に、教室で数学の証明を解いている、みたいな(笑)。ただ、それで普通の中学生としてのバランスを取っている自分がいたんだと思います。
――それだけ時間をかけていたからだと思いますが、『怪奇倶楽部』は映像が凝っていましたよね。
野村 特殊メイクも多かったし照明も凝ってたから、1シーン1シーンすごく時間がかかりました。私自身、はじめてみんなで作品を作る楽しさを『怪奇倶楽部』で知った気がします。それこそ、自分にとって「学校」の意味もあった作品ですね。
――その後も俳優と勉強を両立されて、大学進学もされました。
野村 中学時代の先生がとてもいい先生で、芸能活動をバックアップしてくれました。俳優仲間の中には大学進学について懐疑的な人もいましたが、中学の先生や友人といった周りの人のサポートのおかげで学校にも楽しく通えていたからこそ、進学も前向きに考えられたのだと思います。
――学校側からしたら「芸能人の生徒」ってなかなかいないと思うので対応も難しそうですが、恩師の先生は良い方だったんですね。
野村 あ、でも中学の先輩には飯島直子さんもいるんです。世代はだいぶ離れていますが(笑)。
まるで『りぼん』の世界のようだった
――3月でキャリア35年になられるんですよね。改めてですが、子役から継続してお仕事を続けられたのはなぜだと思いますか。
野村 大人たちの中で、「子どもの自分にもちゃんと役割がある」というのが当時はうれしかったのかもしれません。それにモデルの仕事だときれいな服も着られるし、いろんな場所にも行けて、しかも大人たちの一員になれる。それが誇らしくて楽しくて、続けてこられたのかな。
――アイドルと共演したり、ファッション誌の表紙を飾ったり……本当に少女漫画の世界のような現場にいたわけですよね。
野村 確かに『りぼん』の世界ですよね。プロの人たちにメイクしてもらって魔法をかけてもらって、カメラの前に立たせてもらえるわけですから。
その反動なのか、小学校の時はいつもボサボサ頭でしたし、中学でも「もうちょっとしっかりしなよ!」と友だちに言われるようなタイプで、お化粧もほとんどしませんでした。
だからやっぱり放課後の仕事は、魔法のような時間だったのかもしれません。
写真=釜谷洋史/文藝春秋
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