昨年11月、兵庫県尼崎市の風俗街「かんなみ新地」が、約70年の歴史に幕を下ろした。市と警察署からの営業中止の要請をきっかけとして、約30軒あった店は風俗営業を休止。その後、「かんなみ新地組合」が解散した。一部は一般の飲食店などとして営業を続けているものの、多くの店は廃業申請をすることになった。
歴史ある新地の営業停止は、関西の他の「新地」にも少なからず影響を及ぼしていた。大阪にある今里新地もその風波を受けたひとつだ。かつては芸事で栄えた色街はいま、どうなっているのか。
『娼婦たちから見た日本』(角川文庫)、『青線 売春の記憶を刻む旅』(集英社文庫)の著作で知られるノンフィクション作家・八木澤高明氏が現地を歩いた。(全3回の1回目/#2、#3を読む)
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兵庫県警と尼崎市の勧告に応じ、幕を閉じた
私のもとに一通のメールが届いたのは、昨年11月5日のことだった。かれこれ20年以上の付き合いになる新聞記者の友人からで、そのメールには「新聞記事を添付しておきます」とだけ書いてあった。その添付されていた記事に目をやると、思わず声を上げてしまった。
兵庫県尼崎市にある色街、かんなみ新地が11月1日付けで閉鎖されたというのだ。
記事には、営業を停止したかんなみ新地の写真が載っていた。11月1日付けで、兵庫県警尼崎南署と尼崎市が営業の中止を求める警告書を提出。店側はそれに応じ、すでに色街として幕を閉じたというのだ。
日本の各地から色街が消えゆくご時世とはいえ、あまりに急な出来事だった。にわかに信じ難かった。
私は実際にこの目で、かんなみ新地の現在の様子を見たいと思った。それと同時に、大阪には飛田、松島、今里、滝井、信太山といった新地があるが、今回の摘発の影響はあるのか気になった。
営業停止から2ヶ月以上が過ぎた2022年1月、私はかんなみ新地の現在の様子を目と耳で確認するため足を運ぶことにした。
思えば、私が最後にかんなみ新地を訪ねたのは、今からもう3年以上前の2018年の夏のことだった。
一度しか足を運んだことがなかったが、その風景は今もしっかりと心に残っている。かんなみ新地は甲子園球場からほど近い。朝から夕方まで甲子園球場で夏の高校野球を観戦してから足を運んだことが、印象を強めているのかもしれない。
ちなみにその日は現在日本ハムに所属している吉田輝星投手がエースだった金足農業と鹿児島実業の試合が組まれていた。