競争の激しい飛田と違い「働きやすかった」
しばし新地を歩いてみると、一軒の店に赤提灯がぶら下がっているのが見えた。その店は、メインストリートにあることから、もともと女性を置いていた店であることは間違いない。
「こんばんは」
そう声をかけてのれんをくぐった。
店には中年の女性の姿があった。
「もう女の子は置いてないんですね?」
「そうなんです。もうやっていません。飲み屋さんをやっています」
彼女はかつてここで売春に関わっていた女性だろうと思い、ドリンクを注文してから取材ができないか尋ねてみた。
すると、彼女は「名前を出さないのならいいですよ」と了承してくれたのだった。
経歴から聞かせてもらうと、彼女は25歳の時にこの街で体を売り始め、5年後にここで店を持った。20年、この街で生きてきたという。
「ここは、あんまりぎすぎすしていないところなので、女の子も働きやすかったと思いますよ。飛田とかは競争が激しいから、大変だと思います」
彼女の口調は関西弁でなかったので、どこの出身かと尋ねると「九州です」と言った。
警察から「やめないとパクるぞ」
「以前から、摘発の噂はあったんですか?」
「いや、そんなことはなかったんです。いきなりでしたね。11月1日にやめろと言われ、やめないとパクるぞと警察に言われたんです。それで一斉にやめることにしました。コロナが流行りだしてから店は閉めていて、女の子も私も昼の仕事をしていたので、女の子にはいい潮時だったかもしれませんね」
行政からの一方的な要求に納得がいかない気持ちはあるに違いない。30軒ほどあった店は、すべて売春からは足を洗ったという。
営業をやめることが決まり、店の片付けをしている時には、こんな出来事もあったという。
「店の布団やらプラスチックケースを捨てるために道路に出していたら、20代の頃に働いていた店のママが私のところに来たんです。当時は厳しい人で、彼女のところで働いている時には、辛い思い出しかなかったんです。でも、『これからも頑張らなあかんで』と声を掛けてくれた。そうしたら、涙が止まらなくなってしまいました」
20年という年月をこの街で生きてきたゆえの涙だった。人からは後ろ指をさされる街であっても、そこで生きた女性にとっては、掛け替えのない街だったのだ。
かんなみ新地の状況を見て、隣県・大阪の新地にはどのような影響が出ているのか気になった。
大阪にはいくつもの新地がある。中でも以前はあまり「賑わっている」という印象を持てなかった今里新地がどうなっているのか、特に気になった。