可笑しかった「男たちの行動の単純さ」
当日は快晴だったこともあり、第四試合が終わって、いざ向かおうとした頃には、私の腕や足はこんがりと焼け、ひりひりと痛かった。
かんなみ新地へと足を踏み入れてみると、短パンにTシャツ姿の若者の姿が目立った。彼らもこんがりと日焼けをしていて、甲子園で観戦してからここへ来たことが一目瞭然だった。
青春の象徴である高校野球と色欲の発散の場である色街を同じ日に歩いたこと。私を含めた男たちの行動の単純さが、なんとも可笑しく感じたこともあり、かんなみ新地は深く私の心に刻まれていたのだった。
夏の太陽が西に沈むと、派手な原色のネオンが道路を照らし、遣り手のおばちゃんたちが、男たちに「もう決めてやぁ」「何周歩いてんねん」だとか、遠慮なしに声をかけていた。そこには夜祭りのような雰囲気すら漂っていた。
目の前に広がるわびしい景色
当時の光景を頭の中で反芻しながら、新大阪駅で新幹線を降りた。在来線を乗り継ぎ、阪神電鉄の出屋敷駅から歩いて、かんなみ新地に着いた。
建物は夜の闇に溶け込んでいた。客の男の姿も、遣り手のおばちゃんも若い女性たちの姿もなかった。
目の前に広がるわびしい景色を見て、もうなくなってしまったということを実感した。
しばし、暗く沈んだ通りで佇んでいると、缶ビール片手に自転車に乗った男性が、通りかかった。
「もうやってないんですね?」
私はすかさず声をかけてみた。
「そうや。尼崎市長と兵庫県警に潰されたんや」
男性は、そんなことも知らないのかという顔で言った。
「何が理由だったんですかね?」
「あんた、関東の人か?」
言葉のイントネーションから、関西の人間でないとわかったのだろう。私がこの街が消えた経緯を知らないことに合点がいったとばかりに話しだした。
新築マンションの住民からの苦情
「小さい頃からあった場所やから、なくなったのは寂しいな。警察でも役人でもないから詳しい理由は知らんけど、このまわりにもマンションとかが建つようになって、そうした住民からこんな場所があると怖いとか、苦情が入っていたみたいやな」
確かにこの新地の周辺に新築マンションも目につき、小学校も歩いて、2、3分の場所にある。ちなみにかんなみ新地の周辺にあるアーケードの商店街は、戦後の闇市から端を発している。闇市に人が集まるようになると、色街は自然発生的に形成された。
もともとは、混沌とした空気にかんなみ新地の周辺は包まれていたのだが、社会が安定化していくとともに、いつしか一部の地域の住民からは異質な存在となっていったのだろうか。