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飛田新地は「遊ぶところ」、今里は「芸の街」?

「本芸妓さんと転びの芸妓さんの割合は、どのくらいだったんですかね?」

「本芸妓さんの多かったのは間違いないですね。昔はお座敷があると、本芸妓さんが呼ばれて、その座敷の側にちょいの間があって、そこで転びの人と遊びたい人は遊んだみたいですよ。今とは違いますね。あと、昔は宴会が多かったから、仕出し屋さんも多かったんですよ」

「今、ここで遊べるお店はどれくらいなんですか?」

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「私が来た頃は、20軒以上あったけど、今じゃ12軒かな。もうね、跡を継ぐ人がいないんですよ。ここのお母さんだって、あと何年やれるかわからないですよ」

「飛田は賑やかですよね?」

現在では関西最大級の規模を誇る飛田新地  ©️八木澤高明

「ここは、もともとは飛田とは違いますからね。飛田は、遊ぶところでスタートしているでしょう。こちらは芸妓さんの町でしたからね。ただ、こっちが格が上といっても、長いのは向こうですし、一時飛田もアカン時があったんですけど、まわりの人が協力して今のようになったんです。飛田のまわりで飲食店とかをやっている人が、飛田がなくなったら困るから、一生懸命盛り上げたんですよ」

「飛田のことも詳しいんですね?」

「飛田の近くの生まれなんですよ。両親はそういった商売はしてなかったですが、同級生には、今も飛田でお店を経営している人がいるんです。だから飛田のことも普通の人よりは詳しいんです」

色街は、ただ単に性を売る場所ではない

「こちらは飛田のような動きはなかったんですか?」

「残念だけど、そういう動きはないね。だって、まわりは全部外国の店ばかりでしょう。ここがどうなろうが、関係ないもんね」

 色街は、ただ単に性を売る場所ではなく、飛田の話からも窺えるように、地域とは浅からぬ縁がある。地域との縁が薄れていくにつれて、色街の衰退がはじまるのだなと、遣り手のおばさんの話を聞いて感じずにはいられなかった。

 ©️八木澤高明

 かんなみ新地は、周囲の宅地化、今里は周囲に外国人経営の店が増えたことにより、衰退を余儀なくされている。

 さらに2020年からは、コロナの波が日本各地の色街には押し寄せている。果たして現在、今里新地はどのような状況にあるのだろうか。