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「有吉反省会」初出演から1年ぐらいで事務所入り

――バイトしなくても食べていけるようになったんですね。

でか美 いや、全然です(笑)。仕事は増えましたけど、それだけでは食べられなかったです。「有吉反省会」は、すぐにレギュラーになったわけではなくて、準レギュラーのような形で不定期で呼ばれていたんです。バイトはシフト制なので、1ヶ月前に出さなくてはいけない。急に撮影が入ってしまい、休んで迷惑かけることも増えてきて。活動だけに集中しようとバイトはやめました。貯金を切り崩して、質素な生活すれば少しくらいはなんとかなるだろうって思っていました。

 

 それからだんだんとMCなどの仕事も依頼されるようになって、呼ばれる仕事も増えてきました。当時はフリーランスだったので、オファーのメールを返すとか、スケジュール管理とか、そういうマネージャー業も自分でやっていたんです。ギャラの交渉なんかはできなくて、言い値で出てました。でも「有吉反省会」初出演から1年ぐらい経った時に、もう自分で回すのは無理だなと思って、事務所に入りました。

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家族は「めっちゃいい名前や~ん」「おもろいのぉ。もう忘れへんぞ」

――ご両親は芸名に関して何か言ってきたりとかは。

でか美 芸名を言う時はめっちゃ緊張しました。「ぱいぱいでか美って名前でやってるんだよね~」ってさらっと言ったら、「めっちゃいい名前や~ん」って。「覚えやすいなあ。私もぱいぱいでか子って名乗ってこうかな」ってノリノリだったんですよ。ちょっとこっちが引くくらい、気に入ってもらえて。

 父も「おもろいのぉ。もう忘れへんぞ」みたいな感じで。ちょっとうちの家族は変わっているんですよね。「あんな名前で活動する娘がいて親がかわいそう」ってたまに言われますけど、そもそもその娘の親ですからね。娘が「ぱいぱいでか美」って名前を気に入っているくらいだから、親もおかしいんでしょうね(笑)。

デビュー直後のでか美ちゃん

 両親は会社とか近所の人にも、「うちの娘ぱいぱいでか美って名前で活動してるから、このTV観てあげて」とか、たくさん宣伝してくれました。実家に帰る度に、色紙がたくさん買ってあって。サインを頼まれた人リストみたいなのがあって、「ちょっとこいつらに書いたってくれ」と頼まれるので書いてます(笑)。

――ご家族からの応援は心強いですね。

でか美 本当に有り難いです。兄もめちゃめちゃ応援してくれているんです。兄は長い間精神疾患があって、今はそういう人が暮らす施設に住んでるんですけど、そこでも言いふらしているみたいです(笑)。

 

 私が帰省するタイミングで、兄も外泊届を出して、家に帰って来ていたんです。最後にみんなで兄を施設に送り届けた時に、仲の良い患者さんが入口まで来て「ぱいぱいでか美ちゃん~」って寄ってきてくれて。そういうのはすごく嬉しいし、心が温まりますね。そんな感じで、少しずつですけど、いろんな方に知ってもらうことができたんですが、名前が原因でできないことも増えていくんです。

写真=釜谷洋史/文藝春秋