子どもの言いたいことが伝えられない悲しさがわかる
――子どもをよく観察して、ちょっと導いてあげるというか、種をまくみたいなお父さまだった。
万里 そうですね。子どもはやっぱり充分な表現ができないから、感じることはできてもそれを言葉にできないので、父はそこのところをよく知っていました。私は「どうして分かってもらえないのだろう?」と時々ぎゃあぎゃあ泣いちゃう時があった。母は、「どうして分からないの!」とか「言うこと聞けないの?」と言うんですけれども、私は言うことが聞けなくて怒られているのが悲しいんじゃなくて、自分の言いたいことが伝えられなかったのが悲しくて泣いているんですよ。そういう子どもだったんです。それでそれを伝えようとするんですけれども、泣いていてヒクヒクするし、言葉が見つからず出てこないし、結局伝えられない。
でも、詳しい内容が分からなくても、そういう状況なんだということが、父には分かる。父親だから分かるとか母親だから分からない、ということじゃなくて、親だって1人1人違うんだと思うんです。随分わたしは幸せな子ども時代だったんだなぁと思います。一方、妹は4歳違いますから、父も世の中に名前が出てきていますので、ちょっと忙しいんですね。それに姉の私もいる。そうすると、子どもは子ども同士で遊ぶもんだっていうのも父の1つの主義で、姉妹で遊ばせた。親が遊ばせてあげるのではなくて、子どもは子どもの世界で遊ばせるという主義なんです。
だから、どんなに昔の素晴らしい遊びでも、無理やり大人が教えてあげるんじゃなくて、子どもがやりたいと思って習うんならいいけれども、「さぁこうやるのよ」とか「素敵でしょう?」と言って、大人が教えてあげるもんじゃない、と。遊びは子どもが自らやりたいと思って、そこから始まるもので、セツルのときも、子どもたちにもうちょっと創造的に遊ばせたい、自分たちで遊びが出てくるような遊ばせ方をさせたいって父は強く思っていたと思うんですよ。でまた、そういう自己表現が上手くできない子がいるから、絵を描いて発表させるとか、紙芝居を通して声を出させてみるとか、大勢の前で発表したり展覧会に出したりして自信をつけさせることをやっていたわけですね。そうやってセツルで大勢の子たちを見ていたので、もしかしたら子どもの発達について一喜一憂せずに、ある程度冷静に、「そのうちにできるさ」っておおらかに見ていられたのかもしれません。
普通の親は自分の子どもしか見ることがないから、よその子と比べちゃったり、自分の小さい頃のことを忘れちゃったりして、自分のお子さんが出来る出来ないと一喜一憂してしまうのではないでしょうか。
1人1人の子どもをしっかり見てあげれば、それぞれにすごいところがあるんだと思うんです。その子がちょっとでも活躍できる場があったら、そこから自分の世界を広げていくことができると思う。やっぱり、そういうものを自分で発見できるように、ある程度までは準備してあげるのが大人で、でも最後は自分で見つけられるように、あるいは見つけたと錯覚できるようにでもいいと思うんですけれども、ちっちゃい子の場合は周囲がちょっとしたきっかけを作ってあげるといいのかなって思うんです。この本を読んでくださった方が、少しでも何かそういうようなところに気が付いてくださって、日常を少し違った角度から見てくださったら嬉しいですね。
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かこさとし(加古里子)
絵本作家、児童文化研究者。1926年福井県生まれ。東京大学工学部応用化学科卒。工学博士。技術士(化学)。大学卒業後は民間企業の研究所に勤務しながら、セツルメント活動に従事。子ども会で紙芝居や幻灯などの作品を作り、59年『だむのおじさんたち』で絵本作家の道へ。代表作に『からすのパンやさん』『だるまちゃんとてんぐちゃん』『どろぼうがっこう』など。『かわ』『海』『宇宙』などの科学絵本も多く手がけ、作品数は600点以上にのぼる。2008年菊池寛賞、2009年日本化学会より特別功労賞受賞。福井県越前市に「かこさとし ふるさと絵本館『らく(実際の表記は漢字)』」がある。
かこさとし公式ホームページ http://kakosatoshi.jp/
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