私にしてあげられること
もつお 内容はどれも「自分も人間関係に悩んでいる」というものばかり。「学校に行くのが怖い」「仲が良かった友達から無視された」「クラスで孤立した」「いじめを受けてつらい」――。
どの子も文字がきれいで、大人のような文章。「もつおさんはつらかった分、幸せな日々を送ってください」と私を気遣ってくれました。私には到底書けそうにない、素敵なお手紙ばかりです。
――それが今作を描いたきっかけにもつながったのですね。
もつお そうですね。お手紙をくれた子たちの気持ちがわかる分、私にしてあげられることがないかなと考えていました。ちょうどその頃、編集者の山﨑旬さんからセミフィクション(創作)のお話をいただいて、「今、私が描けるのはこれだ」と描き始めました。
いじめの境界線は、自分がされて嫌なことを相手にしたとき
――ストーリーはご自身の経験に基づいているということですが、手紙も参考にされたのですか?
もつお そうですね。主人公がいじめを受けてつらい気持ちは、いただいたお手紙から想像して描いた部分もあります。
あとは周りへの取材も参考にしました。友達や親戚の高校生、美容院の美容師などへ「いじめってあった?」と尋ねたんです。「なかった」と答える人が多かったですが、その一つひとつを掘り下げていくと無視や陰口、SNSへ悪口を書き込むのは日常茶飯事だったようです。聞いていると、「それはいじめだな」と感じるものがいくつもありました。
――どこからがいじめなのか。境界線って難しいですね。
もつお そうですね。いじめの境界線って、人それぞれ違います。私もずっとわからなくて悩んでいました。無視や嫌がらせの体験は、いじめだという認識が中学生の頃にはなかった。それは加害者側も同じだと思います。
けれど時間が経った今は、自分がされて嫌なことを相手にした時点で、いじめの始まりだと考えています。
「いじめは被害者にも非がある」とよく言われますが、無抵抗の相手に集団で嫌なことをするのは間違っています。加害者側が一方的に悪だとは言わないけど、「いじめられている方が悪い」と自分を正当化することには違和感がありますね。