仕事や対人関係に加え、最近では新型コロナウイルスの感染状況に対する先行きの分からない不安に、心がすり減っている人はとても多い。そんな時、ふと覗いたSNSで、どん底から引っ張り上げてくれるような言葉に出会えたら、どれほど救われることだろう。

 辻仁成さんは、東日本大震災をきっかけに、日々を乗り越えるためのメッセージをネットに10年以上投稿し続けている。

 ここでは、最近3年間で投稿されたメッセージの中から154を厳選してまとめた新刊『ちょっと方向を変えてみる 七転び八起きのぼくから154のエール』(文春新書)より一部を抜粋。辻さんが投稿を始めた経緯と、人間関係に悩む人へ向けた言葉を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

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山あり谷ありの連続だった人生を支え、導いてくれたのは「言葉」だと語る辻仁成さん (写真はブログ「JINSEI STORIES」より)

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 生き難い人生だが、逆を言えば、生き易い人生というものはない。

 60年以上、この世で生きてきたけれど、人生はまこと、山あり谷ありの連続で、山があるならまだしも谷が延々と続くこともあり、思えば、そういうぼくを支えてくれたのは、考えさせられたのは、時には導いてくれたり、目を覚まさせてくれたのは、まさに「言葉」であった。

 詩や小説以外で、ぼくの言葉の発露となったのはツイッターである。その時、パリで暮らしだして10年ほどが過ぎていた。

 日本の状況が分からず、望郷の念にもかられて、47都道府県の任意の47人をフォローさせてもらい、はじめたツイッター。その人たちから日本の「今」を情報収集していたのだけど、ツイートしだして間もない頃、不意に47人全員が「地震だ」と呟いた。2011年3月11日の東日本大震災であった。

 ところが海外にいるので何もすることが出来ない。ボランティアにさえ行けない。家にテレビがなかったので慌ててテレビを買いに行き、電気屋に並ぶテレビの画面に映し出される無数の津波を前に、涙を流した。自分に何が出来るだろうと思って、朝と夜に、短い言葉で人々のささくれだった心を慰められないかと、連日、ツイートをはじめた。

「とんとんとん」という寝る前の「おまじない」(?)もその後にはじまっている。「今日を精一杯生きたろう」という朝礼のようなやや煩いメッセージも、日々を乗り越えるのに必要な気合いであった。もちろん、それらは同時に、自分自身へ向けられてもいた。その短文発信は2022年の今日まで、休むことなく、毎日、10年以上続いている。

 1万キロ離れた祖国の皆さんにエールを送っていたはずのツイッターという場所だったが、離婚後、シングルファザーになり、当時小学生だった息子と二人で生きなければならなくなった時、今度は逆に、フォロワーの皆さんに、励まされるようになった。

 子育ての方法を教えてもらったり、主夫の辛さの愚痴を聞いてもらえたり、そこがぼくの癒しの広場になっていく。その後、発信の主体は、デザインストーリーズというウェブサイトへ移行することになるのだが、すべての始まりは140字のツイートであった。

 本書におさめられた言葉は、ここ3年くらいの間、ぼくが呟いてきたもの。極めてシンプルな日本語がここに集結している。しかし、読み返してみて、ページをめくるたびに、自分自身がその言葉に励まされて、日々を乗り切っていたことをも、思い出すことが出来た。

 本書の魅力をあげるならば、筆者自身が忘れてしまうほど、日々の何気ない感情の発露がここに、軒下のつららのように濡れ光っている、ということじゃないか。いずれ、溶けて消えていくような言葉たちかもしれないが、その光を見つけた方々の心に永遠に残る輝きを残せれば、と思う。