男性が育児を語るのはなかなか難しい。もちろん個々で事情は異なるはずだが、妊娠・出産にまつわる負担やプレッシャーはどうしても母親に偏ってしまうし、育児へのコミットメントも全体で見れば父親のほうが圧倒的に少ない。また、著者も〈父親は子育てにおいて、少しなにかするだけでまわりからすぐほめられる〉と言及しているように、様々な“特権”も存在している。私は「39歳で双子の父になった文筆業者」で、普段から恋愛とジェンダーを主なテーマにしていることもあり、育児や夫婦関係にまつわる文章を書く機会が増えた。しかし、何を書こうにも男性特権にぶち当たる。そもそも執筆の場を得られていること自体「父親が育児を語るのは珍しいから」で、すでに特権的だ。そんな悩みを抱える中で出会ったのが本書だった。
一読して衝撃を受けた。そしてしみじみ感動してしまった。ここで描かれているのは何気ない日常の風景だ。息子じゅんくんの世話をし、その一挙手一投足をつぶさに観察し、家族と協力しながら生活をまわしていく。本当にひたすらその連続なのだが、私は本書を読み、日常とは何気ないものなんかじゃ全然なくて、意外性と一回性に満ちた、スリリングで豊かで尊いものなのだと痛感させられた。
〈部屋がちらかっているというのは、悪いものではない。じゅんが一日のエネルギーを使いはたした成果とも言える。でも、ちらかったところでぐちゃぐちゃに遊ぶのではなく、片づいている状態からぐちゃぐちゃになるまで、思う存分遊ばせてやりたい。だから、私は毎夜、いそいそと片づけをする〉
子どもは常に物をちらかし、機嫌の変動が激しく、何をしでかすかまったく読めない。一瞬でも目を切れば死んでしまうかもしれない緊張感もあり、体力を消耗する。でも、そうやって一緒に日々エネルギーを使いはたしていくことが子育てなのかもしれない。
最初は泣くことしかできなかったじゅんくんは、やがて「まんま」という言葉を発し、図鑑に興味を示し、シャイな一面をのぞかせるようになる。いつしか一人でうんちできるようになり、身内の死を経験し、妹ができて兄となり、父のオンライン会議に嬉々として乱入する――。子どもの成長は生命力というものが具現化した姿であり、家族が積み重ねてきた生活の痕跡であり、本書にも〈これらを間近で見ていると、「自分もこうだったのか」と思わずにはいられない〉とあるように、それは幼き日の自分と出会い直す時間でもある。
育児にまつわるジェンダー格差は確実にあって、我々男性にとって無視できない問題だ。知識、心構え、スキル、働き方など、個人としても社会としても様々な課題がある。本書が徹底的に描いた「日常生活」には、それらと向き合うためのヒントがたくさん含まれているように思うのだ。
くどうやすのり/1967年、徳島県生まれ。龍谷大学教授。専門は文化社会学。著書に『中高生の社会化とネットワーク』(ミネルヴァ書房)、共編著に『無印都市の社会学』(法律文化社)、『〈オトコの育児〉の社会学』(ミネルヴァ書房)などがある。
きよたたかゆき/1980年、東京都生まれ。恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。著書に『さよなら、俺たち』など。